Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

テレビは見てはいけない

「テレビは見てはいけない」苫米地秀人。

オウム真理教信者の「脱洗脳」で名を売った著者である。いまや「脳科学者」である。
仄聞するところによると、脳科学、という学問はない、そうである。
脳科学部」とか「脳科学科」なんてないわけで。
つまり「言ったもん勝ち」なのである。
そういう人たち、今はたくさんいらっしゃるが、私はそれで構わないと思っている。
そのうち淘汰されて、まともな人が残るであろう。(というか、残った人がまともと呼ばれるわけだろうな)

さて。
本書のいわんとするところ、何も「テレビは低俗なので見るのをやめましょう」というわけではない。
PTAが泣いて喜ぶような主張なんだが、残念である。
そうではなくて、著者いわく、テレビを見るのは「奴隷の人生」だから、である。
著者は、わかりやすい例を、冒頭に上げている。
昔、刑事ドラマで「西○警察」というのがあった。このドラマだが、実は、慣れてくると、最初をみただけですぐに犯人がわかる。
なぜかというと、刑事もしくは善人の車はすべてスポンサーの○産自動車の車なのだが、犯人の車は他メーカー車だからである。
著書は、これは無意識に「日○自動車に乗っている人はいい人」という刷り込みを狙っているのだ、という。
ついでに、テレビに出る人を、人はなんとなく好意をもってみるように仕向けられており、そのため、テレビに頻繁に出演する政治家は必ず当選するのだという。

そして、奴隷の人生をぬけでる方法を教える。
タイガー・ウッズの逸話がある。タイガーウッズが、ある大きな大会のプレーオフで、一打差で相手の選手と争っている。
たいへん簡単なパットの場面で、相手の選手が打つ。タイガーウッズがそれを見ている。さて、そのとき、タイガーは何と思ったか?
答えは「入れ!」なのだそうである。
不通なら「はずれろ!」と思うだろう。
しかし、タイガーは「入れ!」と念じる。
なぜなら、タイガーは、天才選手だからである。そのタイガーとプレーオフで争う選手は、やはり天才のライバルでなければならない。
そんなライバルが、イージーなパットをはずすようでは困るのである。だから、タイガーは「入れ」と念じる。
この素晴らしい選手と争い、乗り越えていく自分は、さらに素晴らしくなるのだ、という論理である。

はずれろ、と念じることは、相手が凡ミスをしなければ勝てない、実力では相手に劣っていると認めることになる。
だから、そんなことは考えないのだ、という。

なるほどな、と思う。
成功哲学の本に、脳科学のトッピングを鮮やかに盛りつけたみたいだ。素晴らしい。評価は☆である。

ただ、不思議に思うのである。
苫米地氏は、天才である。得意の脳科学でもって、大衆の心を操れるのである。
であるのに、かようにくだらない大衆向けの新書を書くのは、いったい、いかなる動機があるのであろうか?
テレビがアメリカやユダヤフリーメーソンや財閥や大資本の陰謀の道具であるとすれば、わずかな印税と引き換えに、そんな企業秘密を暴露したら、苫米地氏の身は危険ではないか。
あやうし、苫米地氏!
そうか、苫米地氏は天才だから、襲い掛かる秘密機関の諜報部員を、あっというまに洗脳してしまえるのに違いない。

そう思い、やっと私は、胸をなでおろしたのであった。(苦笑)