Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

少子化と経済

さきに「それでも子どもは減っていく」を読んで、たいへん印象的な指摘があった。

子どもを持つ効用を、著者は3つ、あげている。

1、労働力の側面。
子どもでもできる子守や農作業の手伝いなど。子供は貴重な労働力であった。
2、老後の安定
老人福祉制度がない時代、子どもは唯一の老後の安定を期待できる存在である。
3、情緒的効用
子どもがいる、ということは、生活に楽しさや張り合いを与える。情緒的にプラスである。

しかしながら、現代では、まず子供を労働力として使役することは禁止されている。
よって、その意味で、子どもに期待することはできなくなった。

また、戦後の民法においては、子どもに親の養育義務はなくなり、代わりに老人福祉制度が整備された。子供に対して、将来の安定を期待することは難しい状況になった。

よって、今や子供に残された効用は「情緒的効用」だけである。
情緒的効用といえば、早い話が「贅沢品」ということになる。
趣味の世界と変わらない。よって、子どもが減ったのである。

さて、ここで個々の親世代を考えてみる。
すると、子どもを持つことで、情緒的には満足が得られるかもしれないが、経済的には明らかにマイナスである。よって、子どもを持たない選択をする人が増える。
すると、個々の人は合理的な行動を選択したわけだが、結果として少子高齢化によって、市場全体が縮小してしまう。これは、一種の「市場の失敗」と言えるような気がする。

しかし、だからといって、まさか子供を労働力化することを許可するわけにもいかないし、親の養育義務を持たせるのも、難しいような気がする。
そこで、仕方がないので、政府が子育ての資金を提供して、経済的なマイナスを補完するしかない。
ところが、そうすると、その財源は、税負担によらねばならず、結果として子供を持たない人に負担をさせることなしにはできない。「子ども税」を育児世帯に課すわけにいかないからである。
すると、将来のためとはいえ、子なし世帯は不公平感をぬぐえないだろうし、税負担が増えることで、余計に家計が苦しくなって、少子化を促進することになり、結果として政策の効果を打ち消してしまう事態もあり得る。

なので、これらの問題に対する処方箋は、とても難しい。なんだ、結局アイディアないじゃん、と(苦笑)

いや、つらつら考えていくと、こういうケースが現実には結構多い気がして。
たしかに「市場の失敗」なんですが、だから新自由主義はいかんと言っても、どうも対策がないな、と。
つまり、新自由主義といわれているものは、実際には「単なる現象」であって、いわゆる「主義」ではないんじゃないか?というような気がするわけです。

いや、いい知恵があればなあ、と思うことに、まったく異存はないんですよ。
ただ、本当に意図的な政策で左右される分野が、そんなに多いのかな?という疑問であります。
どうにもならないのであれば、金を使うだけ無駄じゃん、みたいな。
巷間「新自由主義」と批判を浴びる人たちの根底には、、実際はそういう現象面での諦め、みたいなものがあるんじゃないですかね。
どうせ、ろくなことにならないんだろ、みたいな。
イマイチ、バブル時代においしい思いを出来なかった(タッチの差で遅かった)世代に特有の感覚なんでしょうかなあ。