Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

路上


ビートニクの聖書といわれている本である。
買ったはいいが、めんどくさいので、ながらく積読であった。
またぞろ最近、映画だの新訳だのと盛り上がっているようで、根がミーハーな私は思わず引っ張り出して読んだわけだ。

話自体は、まったく大したことはなくて。
主人公のサル・パラダイスが、悪友のディーン・モリアーティと組んで、米大陸をあちこち放浪する。
路銀がつきるとしばらく働き、それでもすっからかんだと叔母に手紙を書いてたかり、酒を飲み、ジャズを聴き、マリファナをふかし、女の子をひっかける。
ときどき病気になったり、さびしくなったりする。
ただ、そんだけ(苦笑)。
ほんとうに、それだけなのだ。

この本がどうして世評が高いのか?といえば、それは当時の世情を知らなければ理解できないだろう。
戦争の記憶が薄れ、しかし、ベトナムが近づきつつあった。冷戦時代であった。
若者がジーンズを履き、髪を伸ばすのはもっと後のことである。
本書はビートの時代、つまりビートルズが愛や平和を訴えるはるか前の話なのだ。
ロックンロールの前、それはジャズの時代である。

とにかく生きてゆくのは何とかなるが、しかし、戦争は終わり、次の出口がない若者がたくさんいた。
白人が黒人の音楽(ジャズ)に熱狂するのは、まだ異端だった時代だった。
それは、アルコールとマリファナがなければ、できないことだった。

時代はつづく。
やがてベトナムが始まり、大学生は反戦運動に走り、神を伸ばし、ジョンが愛をうたう。
世界は変わる、という儚い希望をみんながもった。
その結果は、しかし、共産主義による社会の実態があふれ出し、ヒッピーは何も産まず、東西の壁は愛ではなくて情報通信によって崩壊した。
世界は一つになるかに見えたが、それは新たな資本主義プレイヤーが登場したことによるグローバリズムが登場しただけであったのだ。
世界は一つになった、たしかに。先進国の金持ちはタックスヘイブンに引っ越し、先進国の労働者は途上国の労働者と競争している。
改革開放した旧共産圏には、多くのニューリッチが生まれた。それらの国では、保守派=共産主義であり、改革派=自由主義である。
保守と革新は、国によって異なる概念となり、相対化された。(いまだに世界共通だと勘違いしている人もいるが、それはそれで幸福でうらやましいことだ)
たしかに、総体としてみれば、世界はより平等になった。
ただし、先進国の白人の若者が考えていたように、ではない。一言でいえば勘違いだし、彼らはそのために努力していなかった。
単に、酒とセックスにおぼれながら「新しい時代」をねだっていただけだ。

だから、この小説は、その意味では風俗小悦に過ぎない。
日本でも、その後、風俗小説が生まれた。バブル到来を告げる「なんとなくクリスタル」がそうだ。
文学も「消費」されるものである。
ビートニクも、「なんクリ」も、その時代の風俗として消費されたのである。

だから、この作品は、私は評価しない。
2013年にとって、この「風俗」は古いからだ。時代おくれになれば、風俗に用はない。
私自身の年齢から言っても、この作品にノスタルジーもない。

文学であろうと、三文小説だろうと、どちらも消費されることに変わりはない。
しかし、文学は、消費されない(非常に食い合わせの悪い)何か、がその中にある。
本書には、なんにもない。