Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

野次は野次

都議会で、野党の女性議員が少子化と子育て対策について質問していたところ
「お前がまず結婚しろ」「産めないのか」
などといった野次がとんで、この女性議員は声をつまらせてしまったというので、話題になっている。
野次を飛ばす議員の品性を疑う、これはセクハラではないか、などなど。
なお、女性議員は35歳の美人で、もともとテレビにもでていた人のようである。

私は思う。
まあ、たしかに品の良い野次ではない。
しかし、野次は野次である。

議場の質問のとき、野党であれば与党から野次が飛び、与党であれば野党から野次が飛ぶ。
野次はとばしても構わないことになっている。
どこに「野次をとばしてはいけません」などという法律があるのか?ないのであるから、日本は言論の自由な国ということになっている。

そして、野次の内容は速記録にも記録されない。当たり前であって、質問でも答弁でもない。野次は野次である。すなわち、それぞれの議員が勝手に「独り言」を言っているのと、なんら変わりないのである。

議員が質問するのは、有権者の付託を受け、歳費を貰っているからである。
自分のためではない。有権者のために活動しなければいけない。

自分の立場を野次られたからといって、有権者から受けた付託に、なんの関係もない。
野次られて、痛いところをつかれ、思わずたじろぐのは議員個人である。
しかしながら。
議員は、個人の立場でものを考えてもらっては困る。

議場での野次は、それが当意即妙だったり、ユーモアがあったり、うまく立論の欠陥をつくことがある。もちろん、そうでないこともあるが、それはそれである。
早い話が、議会は学級会ではないので、野党と与党は言論をもって戦っている。
たじろいだ方が負けである。
その負けは、本人の負けでなくて、その人に一票を投じた人の負けになる。

ゆえに。
野次は、やっぱり野次である。
野次にたじろぐことなく、自分の仕事を専一に努めるべきである。
議場における質問は、議員の最大の戦いの場である。
自分のことなんか、忘れてしまわなければいけない。
そうでなくて、政治なんぞできないだろう、と思うのである。


以下、蛇足ではありますが;

早く結婚しろの、子どもをつくれだの、私もさんざん言われました。すでに言って貰えない年齢になりましたが、そうしてみると淋しいもので、言われていた頃が花だとも思えます。(苦笑)もちろん、そのときは不快な思いをしたことは事実ですが、しかし、あとで考えてみると、そうではないこともわかる。色々な思いがあって、人はそのような忠告ともクレームとも、余計なお世話とも小言とも言えることを言うのであります。そして、その裏には「あなたは、まだ若いじゃないか」という意味もある。私のように、五十路をすぎた男には、もう言えないわけです。
ですので「そのとき不快な思いをしたから」ただちに「被害」である、というロジックは正しいのか?とも思うのです。いささか近視眼的というか、短絡的で感情的な反応ではないか、と。私のように、あと20年くらい結婚しないで(できないで)いたらどうだろう?それでも被害だと思うかどうか。20年なんてアッという間だから、様子をみてはどうだろう?とも思うのですがね。(笑)

つまり。
上の記事は「もう言って貰えない五十路男のひがみである」ということかもしれないわけです。