Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

遠い未来

ジョーンズさんの意見に共感。
私も、遠い未来には、単一国家が出現するように思う。というか、国家の機能が今と変わっていくように考えている。

今、amazonアメリカの会社であるが、実はルクセンブルグを経由することで、大幅に節税している。同様の手法は、アップルやマイクロソフトも行っている。
これらのグローバル企業にとっては、世界中が市場なのであり、どこに利益をプールしなければならないということはない。
米国にあれば、規制が少ないし、IT開発環境も資金調達も有利なので、米国本社にしているわけだが、利益をプールするには税金が高いので、ルクセンブルグを経由させるわけである。
米国にとっては、腹の立つ話であるが、ルクセンブルグは何の産業もない(言い過ぎか)のにamazonの資金が滞留するわけで、非常に助かる。
正確にいえば、ルクセンブルグにある資源は「国家主権」だけなのである。
徴税権は、国家の主権に属するから、他国にとやかく言われなくていい。つまり、税率をいくらにするか、何に課税するかは、その国家の自由である。

さて、経済のグローバル化がさらに進むと、どうなるか?

企業は、より税金が安くて、企業活動がやりやすい国を選ぶ。つまり、わかりやすくいえば「国をショッピングをする」。
大きな政府だとか、小さな政府だとか、そんな議論は国内のものだが、実際にはグローバル企業はすべての国家を市場原理で判断する。
古いエコノミストは、市場原理を「国家が選ぶ政策」だといまだに考えている。現実には、国家は企業に選ばれる商品であり、市場原理の下にある。

これらの国家のショッピングが、完全に自由に行われるとどうなるか。
税金が安くて経済活動の自由な国に、有力な企業や金持ちが集まる。
大きな政府を標榜し、市場を統制しようとする国家には、このような国家による保護を必要とする人々が集まる。国家による保護が必要な人々は、グローバル経済の中で、大きな政府に必要な税収を稼ぎ出すことは難しいから、これらの国家は財政破たんする。すると、人は来なくなる。

こうして、国際市場で「国家ショッピング」に耐えられる国家だけが生き残るだろう。

日本の天皇家は、そのとき、たぶん同好会の象徴のようなものになるであろう。
天皇家が好きだというのは、一つの趣味嗜好としては、充分に成り立つ。産業としては不成立だが。
よって、同好の士によって支えられる伝統文化になるはずである。

たぶん、あと100年では無理だろうが、200年か300年後には、そんな未来が訪れるような気がするのである。