Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

項羽rと劉邦


大学時代以来の再読である。
帰省したら、連日の雨。願ってもない読書日和となったが、本屋にいくのもままならぬ、というわけで再読。

項羽と劉邦の物語は「才能対人間性」だと思っていた。
つまり、巷間よく言われる「項羽のほうが、はるかに才能があったが、劉邦人間性にかなわなかった」という理解である。
ところが、再読してみたら、まったく違う印象を持つようになった。
つまるところ、項羽は根本的にお馬鹿さん、いわゆる猪武者なのではないか、と。

劉邦の強みは、沛のまちのゴロツキ時代から、部下を食わせるのに苦労していたことにある。
このオヤジは、ほかのことはからきしダメだが、とにかく「メシを食わせないと人はついてこない」ことだけは、しっかりアタマに入っていたのである。
項羽相手に百戦百敗するのだが、それでも都度逃げ延びて再起する。
最後には勝つのだが、理由は簡単である。
つまり「勝つまでやったから」である。
負けてやめたら、それまでだった。

では、どうして、何度も再起できたのか?
これも簡単で、蕭何がいたおかげで、何度負けても補給ができた、つまり部下にメシを食わせたからだ。

これはずるい。
と同時に、よくあるビジネス書の「昔の時代に現代の経営を学ぶ」が絵空事であることが、よくわかるのである。

つまり、現代でいえば、何度倒産の憂き目にあっても、従業員に給料を払い続けることができた、ということを意味するからである。
とんでもない話で、実際には、給料を払えないので倒産するわけだ。
こんなものに、学べるわけがなかろう。

そう考えると、劉邦の場合は、蕭何がずるすぎるのである。
どんなに負けても、食と兵を送ってくれるのだ。こんなチート設定はないだろう。
つまり、勝つまでゲームをやめなきゃいいのである。
どんな下手くそでも、勝てる道理だ。

評価は☆☆。
この名作、面白くないわけがない。
ただし、ここから「現代にも通じる教訓」を引き出そう、などという「孫子に学ぶビジネスマン」みたいな発想は、とても馬鹿げている。
そもそも、この名作を、そんなふうに曲解して読むものではない。

補給の概念を根本的に欠いた項羽は、持久戦に耐えられない。
つまり、項羽が勝つためには、相手に決戦を強制する策が必要なのである。
側近はもちろん、項羽自身にも、その策がなかった。
策無き者であったので、敗れた。

韓信は、また別格である。
公平に見た場合、天下をとるのに、最短距離にいたのは韓信であった。
彼の場合、単に劉邦に決戦を挑むだけでよかった。
韓信から、唯一得られる教訓は「チャンスは逃すものではない」ということか。
ううむ、これなら、現代にも通じる、かな。