Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

天狗騒乱

「天狗争乱」吉村昭

幕末の「天狗党の乱」については、単に水戸藩尊王攘夷派の争乱として、歴史教科書では一行の記述があるだけだった(と思う)。
しかし、この小説を読めば、この乱がいかに悲劇であったか、掌を指すように理解できるのである。

水戸藩はもともと光圀公以来の「水戸学」発祥の地であって、尊王攘夷思想の柱石というべき存在であった。
ところが、ご存じのとおり、幕末の討幕運動の主体は薩長土肥であって、水戸はここに入らない。
もちろん、徳川慶喜という水戸の人が将軍になってしまったので、つまるところ「倒される側」だったことが大いに影響しているわけであるが、それにしても、と思う方はないであろうか。
私自身がそうだった。


そして、本書を読むと、水戸藩自体の中で尊王攘夷派と諸生派の政争があり、抗争に勝った諸生派の市川三左衛門が藩政を壟断することになり、尊王攘夷派が追い詰められていった経緯がようやく理解できた次第である。
水戸天狗党がいわゆる「テロリスト集団」でなかったことは明白で、旗揚げ初期の田中隊が軍用金を強要して無残な振る舞いをしたのに対し、彼らは隊を処罰している。
それ以後は、豪商や藩から軍用金を取り立てはするが、軍紀は厳正で、宿場への支払いも怠りなく行い、待ち受ける幕府討伐隊を撃破しながら京都に向かう。

もともと、水戸藩で諸生派(佐幕派)と尊王攘夷派の抗争がおこったので、幕府は、水戸藩支藩である宍戸藩主の水戸頼徳を派遣した。
ところが、これに対して、水戸藩家老の市川三左衛門は入城を阻もうと武力阻止を行う。
頼徳が水戸に入城してしまえば、自分たちの国政壟断がばれてしまうからである。
その一方で、幕府に頼徳と天狗党は共謀していると讒訴する。
頼徳としては、とにかく水戸に入城しなければ役目が果たせない。幕府に命じられた藩主の代理なのである。
この頼徳の入城を天狗党が支援するというおかしなことになってしまう。
天狗党としては、諸生派と対抗しているのであり、その諸生派を排除して水戸に入城しようとする藩主の代理人である頼徳を支援するべきだと考えたのである。「敵の敵は味方」という論理である。
頼徳としては、特に尊王攘夷派でも何でもなかったのであるが、水戸入城を図るため、天狗党の協力を拒むことはなかった。
これが幕府から見ると、市川三左衛門の讒訴通り、頼徳がテロ集団である天狗党と気脈を通じていると映ってしまい、なんと、幕府が派遣した頼徳に幕府が追討軍を派遣するというおかしな事態になってしまう。
頼徳は大いにこの事態に驚き、追討軍に降伏を申し出、そのまま釈明の機会も与えられずに切腹させられた。

これを怒った天狗党は、頼徳の潔白と市川三左衛門ら諸生派の壟断を訴え、かつ尊王攘夷の決行を迫ろうとして、京都にいる藩主弟で英名の名も高い慶喜に直訴に赴くのである。

ところが、事態は彼らの思いもかけない方に展開する。
尊王攘夷派とみられていた慶喜は、自己保身の塊のような男であり、なんと自ら天狗党の討伐隊を指揮するのである。
幕府軍の大群が京都を固めていることを知った天狗党は困難な冬季の南アルプス越えを敢行。
加賀についたところで、前田藩に降伏する。ほかならぬ慶喜が討伐隊を指揮していることを聞き、直接、釈明の機会が与えられれば死んでも本望という判断であった。
彼らは、そのまま鰊庫に放り込まれ、日の差さない庫の中でろくな食料も与えらず、汚物まみれのまま多数が獄死させられる。
生き残った者も、主だったものは家族まで含めて、断首の刑であった。
彼らの臨んだ弁明の機会もなく、ただ慶喜は自分の保身のために、彼らを見殺しにしたのである。

彼らの降伏を受け入れた加賀前田藩は、この一件をもって、すでに幕府の世は終わったと感慨を漏らす。
士を士として遇さぬやりようで、幕府が成り立つ道理がないと悟るのであった。


綿密な吉村昭独自の資料収集が生きて、まことに読み応えのある作品である。
評価は☆☆。

天狗党に対しては、たとえば尊王攘夷から公武合体、ひいては討幕開国への流れを見誤ったという評価があるであろう。
そのための悲劇である、と。
しかしながら、私が思うに、どうも違うように思われる。
時代を見誤ったというのは、後付けの論理の最たるものであって、結果論であるので、実は何も説明していないと思うのである。
天狗党の事件について、あえて言うならば、頼りがいのまったくない人間を頼りにした、その過ちが原因であろう。
彼らは、尊王攘夷思想に身をささげる純粋さを持っていたが、一方で、徳川慶喜という人物がとんでもない腰抜けで、自己保身の塊であることが理解できていなかった。
時代といい、あるいは思想というが、それよりもまず身近な人物の力量のほどを見抜くほうが、よほど大事なのである。

高い星を眺めている人間は、足元が見えぬ。
そうすると、すっ転ぶ。
平凡ではあるが、それこそ、真実ではないかと思う次第である。

偉そうなことはまったく言えませんがねえ(苦笑)