Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

リスク 不確実性 想定外

「リスク 不確実性 想定外」植村修。

ホリエモン以来だと思うが「想定の範囲内」の対語として「想定外」という語彙が、一般に使われるようになったと思う。
もちろん、言うまでもないが、あの東日本大震災のときは「想定外」のオンパレードであった。

本書は、リスク管理について専門家の立場から、平易に解説したものである。

よんでみると「なあんだ」である。
リスク管理に王道なし、というが、その原則は極めてシンプルであって「想定し、対処する」だけである。
たとえば、本書にギャンブル好きな人に対するリスク管理法が載っている。
いわく「まず、家賃を払おう。そして、生活費を確保しよう。なお、残った金でギャンブルをしてもいい」
なあんだ、と言わない人があるだろうか。(笑)
それができるくらいなら、苦労はしねえだろ。
まあ、そうなのであるが、しかし、そもそもギャンブルによるリスク(負け)を想定するなら、早い話が「すっちゃった」場合のことを考えていればいいのである。
決して間違っていないね(苦笑)。

かくのごとく、リスク管理は、平易であるが、どうしてしばしば、人はリスク管理に失敗するのか。
それは「想定」が外れるからである。
人間は感情の動物であり、ゆえに、想定の中に、必ず自分に都合のよい感情が入るわけである。これは、行動経済学的にも証明されているらしい。
さらに言えば、すべてのリスクを織り込んでしまうと、まったく動けなくなることもある。

利益はリスクがもたらす果実であるが、だからリスクがあるから利益がある、とはいえない。世の中には、リスクだけは高い取引も、まま、ある。
逆は必ずしも真ならず。

評価は☆。
ま、正直、面白いとは思わなかった。
間のコラムで言及される歴史上の出来事をリスク管理視点でみた話なども、どうも、私には牽強付会に感じられる部分が多かった。

本書で面白いと唯一思ったのは「ブラックスワン」の定義である。
ブラックスワンとは「あとで考えれば、誰もが想定可能だと思うようなことが、実は事前に想定外とされていたことである」と明確に定義してある。
原発事故などが、まさにこれに当てはまる。
事故の後、非常用発電機がそもそも津波の被害に遭いやすい位置に置かれていたことが原因だ、となり、本来は事前に想定できたのではないか、という話がある。
あとから見れば「なあんだ」という話である。
そんな簡単な話なら、ディーゼル発電機を、あらかじめ高地に置いておけばよかった。
「だから、今度から高地におくから安全」というのであれば、もう皆さんくお分かりだろうが、馬鹿の見本である。
本質は「そんな簡単なことが、どうして事前に予測できないの?」である。
せいぜい「関係者がバカばかりだった」という話がでてくるくらいか。そんなにアンタが立派な人間なら、事前に注意してやりゃいいじゃねえか(笑)。
それはできない。
なぜか。
人間にとって、時間は未来にしか流れず、過去にさかのぼって忠告することもできず、神でないゆえに全能でなく、よって、つねにブラックスワンがやってくる。
ブラックスワンが来る」ということを知っておくのが、最低限の知恵である。

もう少しいうと、そこには人間の知の形式(分析主義的な知)そのものが持つ、限界があるからである。
Sレムの書いた「枯草熱」がそういうテーマだったし、同じテーマを数学ではゲーデル不完全性定理として表現した。
人間は、自分が思いつくことしか、想定できない。

本当のリスク管理は、自分が想定しないリスクの評価を聞くことから始まると思われる。
考えてみると、保険などが、そういう典型である。
保険は「不幸の宝くじ」というマイナスのギャンブルだ。
マイナスのギャンブルをもって、ギャンブルのリスクを制することになる。
世の中は、なんと面白いことか。