Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

沙中の回廊

「沙中の回廊」宮城谷昌光

この人の支那歴史ものは面白いのだが、本書も例に漏れない。
主人公は春秋戦国時代の晋の宰相、士会である。春秋左氏伝にいわく「晋でもっともすぐれた宰相」という。

この人は、士大夫の家系に生まれたものの、末子であったので家長でなく、本来なら歴史に埋もれる運命であった。
それが、晋の文公に見いだされ、城濮の戦いの帰路、車右となる。
車右とは、公の戦車の文字通り右側に乗る戦士で、国一番の勇士という意味があるのである。抜擢ということであった。

しかし、晋は文公の死後、跡目争いから内紛に陥る。
このころ、晋は各国との和平のため、公子を各国に留学させて養育していた。士会は、秦で養育されていた公子雍を迎えにいくことになった。
ところが、士会にこれを命じた宰相の趙盾が心変わりし、霊公を立ててしまう。
意気揚々と国主に就任するものと思い込んでやってきた公子雍は、あろうことが生国の晋の軍勢に撃破されてしまうのである。
これを見た士会は、しばらくしてから秦に亡命する。

秦の康公は名君であり、亡命してきた士会の軍事の才を見出して登用。士会は期待に応えて、かつての故国の晋をはじめ、並みいる強国を次々と卓抜な策で撃破する。

これをみていた晋の大夫の郤缺が、捕虜交換の策略をもって士会を晋に迎える。秦の康公は悔しがるが、士会の家族を無事に晋に送り返してやったという。
帰国した士会はしばらく登用されなかったので、それを聞いた康公は「晋には人材が多いと見える。士会の登用がゆるやかなのは、我が国にとっても幸いである」と述べたそうである。

康公の評価は過たず、士会は昇進し、再び軍事的な偉才を再三にわたり発揮する。

宰相の趙盾が引退した後を継いだのは荀林父だったが、彼の指揮はまずく統率がとれず、邲の戦いで楚を相手に大敗を喫した。
士会の上軍だけが、このとき崩れを見せず、粛々と退却したという。

その後、荀林父の再戦を助け、その後、ついに正式の卿に命じられ、宰相となった。
ほぼ無位無官の地位から、一国の宰相となり、かつ、その輿望を最後まで失うことのなかった名宰相である。


評価は☆☆。
宮城谷文学らしく、見たこともない漢語が頻出するので閉口するが、そこは表意文字のありがたさである。
字面を見れば、意味はなんとなくわかるから、読んでいけば文意は通る。
上下2巻を読み終わるころには、何の違和感もなくなっているから恐ろしい(笑)。

ちなみに、我々がふだん使用する漢語は、ほぼすべて明治期の先人が翻訳したものである。
「自由」も「社会」も「哲学」も「熱力学」も、すべてそうである。
なんたらピテクス、といえば、その方面の知識がない人にはチンプンカンプンであるが、日本語では「○○猿人」となる。
日本人では、知識がない人でも「猿人」という字面を見れば、だいたい意味はわかる。
そういう意味で、日本語を使う人は、知識が欠けている分野でも、表意文字の効用によって最低レベルの知識を補えるのである。
支那は、近代化に乗り遅れたので、これらの西欧的概念や学術用語の翻訳に、ほぼまったく貢献していない。
彼らの新聞を飾るのは、日本人が翻訳した熟語ばかりである。例外は、せいぜい「電脳」くらいなものだ。

かつて、支那は強大であり、文明を大いに発達させた国であった。
それが、近代では見事に凋落し、文明的な頽廃に陥り、西欧各国の侵略を招く結果となった。日本は、単に西欧に負けまいと、慌てて出かけたに過ぎない。おまけに、最後に出て行ったらお前はいかんと言われたわけだが。

では、かつて世界の強国だった支那が、かくも無残に退嬰に陥ったのは何故か?
色々な説があるが、私は科挙にその原因があるであろう、と思っている。

アヘン戦争のとき、英国は清に外交交渉の申し入れをした。
ところが、晋はこれを無視した。その理由は、その外交文書が「八股文でなかったから」だった。
八股文は、科挙の試験で問われる文体そのものであり、四書五経をベースにした政治文書の書式である。
そんなものを、英国が知るわけはなかった。清にすれば「八股文を知らないこと=野蛮」であった。野蛮なので、相手にすることはできない。
書き直せ、と尊大な態度で言い渡したところ、大砲の弾が返礼にどっさりやってきたのである。

大日本帝国陸海軍も、その士官を試験で選抜、養成するようになってから、戦術の硬直化が起こり、戦えば負ける軍隊に成りはてた。米軍は、どうして日本軍の士官は無駄とわかっている攻勢をしばしばとるのか?と不思議がっていたが、それは歩兵操典という教科書に書いてあるからだった。
士官学校で良い成績を収めた士官たちは、当然に、教科書をよく修めていたのである。

いずれも「近代化」であり、つまりは「官僚化」の至る所である。
歴史学は、近代化とは官僚化のことである、と教えている。近代化すること自体が、効率化、高度化の要請を生んで、テクノクラートを生み出す。
テクノクラートたちは、その優秀な頭脳で、善を為そうとすることで、国を亡ぼす。
共産主義が、その頂点であろうと思う。

それでも、私たちは近代化をやめようとはしないのである。人間は、自ら生み出したもののために没落していく。
これを因果応報というのであろうなあ、と思う次第ですなあ。