Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

平成経済事件の怪物たち

「平成経済事件の怪物たち」森功

さてさて、ついに本日をもって、5○歳になってしまったわけだ。
己を省みて思うが、まさに馬齢を重ねるとは、このことだな。恥ずかしい次第である。

誕生日だからといって、若い人みたいに、お誕生パーティをやるわけでもないし(この年になると、めでたくもないしね)「通常運行」が一番であろう。
で、例によって、読書録を。

私が社会に出てからも、色々な事件が世相をにぎわせてきたのであるが、自分にとって影響が大きかったのはライブドア事件村上ファンド事件、日本振興銀行事件などがある。
これらの事件は当時の私に、間接的に大きな影響を及ぼしたし、なかには若干のかかわりがあったものもある。
本書では、村上ファンド事件について、特に一章を設けて言及している。
驚いたのは、村上氏がシンガポールの財閥と深い関係があったらしいことで、それは彼の父が台湾人、祖父がインド人という印僑、華僑の血縁があることだ。
まさに「グローバリズム」の尖兵であったということである。もちろん、オリックスの強烈な押しがあったのも事実である。
さらに、シンガポール財閥の華僑のもとは、旧日本軍の山下財宝という噂も飛び交うという(さすがにガセネタだろうが)。
日本の株式市場は、インサイダーが蠢く魑魅魍魎の世界があるから、プライベート投資ファンドはまさに「ぎりぎり」のところで勝負をしているところがある。
おそらく、村上ファンド事件は、あれだけ大きくなったから(そして、世論で叩かれたライブドアと昵懇だったから)立件されたもので、グレーなものは、この10倍いや100倍はあると思っている。

本書は、最初は江副氏のリクルート事件から始まり、イトマン事件、野村證券損失補てん、東京佐川事件、イ・アイ・イ事件、ノーパンしゃぶしゃぶ接待、イトマン事件、武富士村上ファンド陸山会事件を取りげている。
日本のベンチャーリクルートに始まるという著者の指摘は鋭いと思うし、そこに「持たざる者」がのし上がろうとするときの「ひずみ」を感じる。
その「ひずみ」は、最後には政治家に行きつくことになる。それゆえ、ついに有罪判決に至らなかった陸山会事件(小沢一郎)で終るのであろう。

これらの事件は、その「背後」にあるものをあぶりだすための狂言回しのような役割を持っている。
独立した章として設けられなかったライブドア事件もそうだし、イトマン事件の背後に見え隠れする許永中もそうである。
一介の在日韓国人にすぎなかった許永中が、どうして巨額詐欺事件の中心に常にいたのか?その謎は、まだ解明されていない。しかし、彼は異例の韓国刑務所への移送という奇手を操りだし、1年の恩赦をへて出獄している。
真相は、いまだわからない。


経済犯罪は、いうまでもないが、お金にまつわる事件である。
殺人や傷害などとは違い、損失は純粋に金銭であり、被害も金銭で救済可能なケースがほとんどである。
しかし、社会に与えた影響が大きいというので、彼らの行為は裁かれることになる。
犯罪者は、自らの罪を認めて服役することで、社会との和解を果たすことになる。
彼の行った行為は「反社会的」であるが、それを認めて法に従って罰を受けることは、法を認めたことになるから、和解ということになる。
つまり、経済犯罪の本質は、その「反社会性」にあるのであって、単なる金銭的な損得をいうのではない。金銭的な損得ならば、民事事件の範囲である。

その「反社会性」なるものの、本質とは何か?
それが、よくわかる事件を、本書では抜粋して言及してある。
そこに表出しているのは、明らかに「不公平な競争」を行った結果としての金銭的利益の授受、なのである。
我々、日本社会の本質として「競争は肯定」「しかし、不公平な競争は認めない」ということがある。
では、なぜ、競争は公平でなければならないのか?
不公平な競争が生む社会的な利益の毀損とは何か?

立件されたが無罪になった小沢一郎や、数々の事件で名前が出ながらついに不起訴のまま終わっている亀井静香、その亀井に挑んで負けた堀江もふくめて、言及されているけれども、独立した章にならなかった登場人物たちがいる。
ほんとうは、こちらのほうに、よほど大きい問題があるのではないか。
そう思わずにはいられない。

まさに力作。☆☆。
一読をお勧めする。