Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ヤクザと原発

「ヤクザと原発鈴木智彦。

著者はフリーライターであるが、その専門分野は「ヤクザ」であります。
つまりですね、あの「週間実話」とかがメインなわけですね(笑)。業界誌ですからね(爆)。

そのヤクザ専門のフリーライターが、311のあとの夏に、1Fに潜入して働いてきたというルポです。
出版社は文春。今やセンテンス・スプリングこそ、ジャーナリズムの本道かと思う次第。

まず、頭のいかれた反原発本ではないので(苦笑)、そちらの方面を期待された方は肩透かしを食わされることでしょう。
著者のテリトリーは、基本的に「ヤクザ」ですから、原発は守備範囲外。
で、そのシロウトが、原発に人夫出しをしているプロに教えを乞いつつ、その実態をルポルタージュするから面白いですね。

まず、原発がヤクザにとって「しのぎ」になっていること。
あの有名な「フクシマ50」実際は70人ほどいたようですが、今だに氏名は公表されていない。
この国民的ヒーローを、どうして?といえば、もうおわかりでしょう。ズバリモロの、ヤバイ人たちが混じっているからです。
「けっ、放射能が怖くてヤクザをやってられるかい!」と啖呵をきって現場に向かった男気は素晴らしいわけで、そこに入墨があろうといいじゃないか、と思うのですが、東電はそう考えなかったらしい。
公然の秘密だったわけで、それが明らかになるのはまずいのです。

ヤクザにとっては、原発は安定的に食えるシノギで、これさえあれば薬局(覚せい剤の販売の隠語)なんかをしなくてもいい。
何年も食える。
おまけに、地元のヤクザにとっては、間に入っている建設会社もエンジニアリングも、みんな地元の知り合い。
小学校から知っている仲間がたくさんいるのです。何かあっても、阿吽の呼吸で見て見ぬ振りをしてくれる。
そもそも、原発の立地に、ろくな産業があるわけもないのです。
そこに原発という巨大プロジェクトができて、雇用が生まれて、カネが落ちてくる。地元の人間同士が、互いに暗黙のうちに協力するのは、言うまでもないわけです。
そういう前提があって、原発が動いているわけですね。

そんな彼らですが、じゃあ放射能が怖くないか、というと、実は長年の経験で怖さもよく知っているのですね。
政府が緊急対策で、事故時の被爆上限を250ミリシーベルトに引き上げましたが、誰も相手にしていなかったそうです。
現場では、50ミリ、100ミリ、150ミリの三段階で管理。
炉心に近い作業場が50ミリで、遠くなれば150ミリなのだそうです。
彼らに言わせると、線量だけでは危険度は測れない。汚染度がそれ以上に大事だというのですね。
汚染度が高いところで作業をすると、晩発性のガンにやられる危険が増すというのだそうです。
もちろん、因果関係が証明されたわけではないので、彼ら現場の事業者の長年の経験としか言えないわけですが。
ですから、汚染度が高いところは、あえて50ミリを上限にするわけです。
まあ、それでも、ホントにやばかったときの線量は、いまだに分からないそうですが。
子供が出来なくなった人はいるようですが、死者はいない、としか言えません。

評価は☆。
かなり面白く読みました。
原発とヤクザというのは、面白い切り口です。

日本の原発をめぐる状況というのは、いまだに国論を二分していると言ってもよいでしょう。
科学的な議論のほかに、経済的な議論(東芝もそうですが、コスト上昇による経済性の低下)、政治的な議論(立地対策と最終処理場の政治的な可能性)、国防上の議論(準核武装可能国の地位保全)など、色々な視点があります。
これらの議論は、それぞれの見方があって、本来であれば、順列組み合わせ次第で多様な見解が生まれるはずです。
ところが、我が国の原発議論のオピニオンリーダーは、以下の2群しかありません。
1)狂信的反原発集団
原子力発電と核武装がごっちゃであり、なぜか反原発ヒロシマナガサキと同じ次元の議論になる。(味噌もクソも、、、)
・反原発といいながら、特定アジア諸国の原発についてはダンマリで、懸念すら示さない(事故ったら、偏西風で日本はモロに影響うけるのにねえ)
2)宗教的原発推進
原子力発電と核武装がごっちゃであり、核武装を推進。(実際はNPT脱退すればウラン輸入も止まり経済制裁もあるのに、どうやって核武装のカネを稼ぐんだかねえ)
・急上昇するコスト問題(東芝に見られる安全対策費用の上昇。その他、廃炉、最終処分、および事故処理費用)を軽視。自由主義経済よりも国家統制経済を主張。(カネの話だけ左翼的)

これはもう宗教ですから、相手の言い分を聞こうとしませんし、互いに傾聴に値する主張は出尽くした感があって、もはや議論にならないですねえ。
宗教的といえば、たとえば
・右翼が、日本の産土神を尊崇する論理で、放射能汚染に反対する
・左翼が、科学的な人間の進歩と理性を信じる故に、原子力発電に賛成する
自由経済主義者による、純粋な民営原発補助金と事故処理費用をすべて保険で賄った上で自由経済市場での淘汰に任せる)
などの立場があっても良いはずなのですが、そういう主張は見かけませんねえ。
原発は大変幅広い視点が必要な問題ですし、そういう視点が必要だと思いますが。

つまり、フクシマから6年を経て、原発イデオロギー装置となってしまった、ということなんでしょうなあ。