Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大学病院のウラは墓場

「大学病院のウラは墓場」久坂部羊

現役の医師でもあり作家でもある著者が、医学界の「改革」について描き下ろした本である。
色々と考えさせられることが多い。

大学病院というのは、「研究」「臨床」「教育」の3つの機能を持っている。
ところが、かつての時代は、これら3つを高いレベルでこなすスーパー教授がいたのであるが、医学の高度化とともに、だんだんそれが難しくなった。
すると、教授は「研究」に向かうのだそうだ。
なぜかといえば、研究のほうが論文を書きやすいからである。
臨床分野で、そうそう画期的な治療法などは発見できるものではない。
地道な基礎研究の一部でも、書いて出せば、そのほうが評価を得られる。
こうして「研究はできるけど、治療はできない」医学教授が出来上がっていく。
その負担は、助教授や助手あたりにかかることになる。
本当は論文を書きたいのに、激務で、しかも昨今の患者はモンスター化していて物分りの悪い連中も多いのであって、そういう患者を相手に日夜披露している姿をインターンは見せつけられることになる。
「これは大変だ、割に合わない」
そう考えた彼らは、かつてのように研修の場に大学病院を選ばなくなってしまう。
困った大学は、市内の病院に派遣していた医師を呼び戻すことになるから、ますます医局支配が弱まることになる。

かつての教授を筆頭にした大名行列と揶揄される回診風景に象徴されるような医局支配は良くない、というのが世間の常識である。
しかしながら、教授の意向のもと、過疎地の病院であろうと「おまえ、ちょっと苦労してこい」で派遣されていたので、地方でも医師不足にならずに済んだ。
医局支配の力が弱まれば、ますます条件の悪い病院には医師が集まらなくなる。
残った一部の優秀な医師には手術が集中し、激務に耐えきれず、開業の道を選ぶことになる。
開業してしまえば、診療時間も休日も、基本的には自分の自由だ。
ただし、難しい手術は出来ないので、それは病院に送り込む。その病院には医師がいないのである。手術できる医師は、みな開業して病院を出ていってしまったからである。
かつての病院の医師は、大きな声では言えないが、手術前の謝礼もあり、それなりに裕福な生活が出来ていた。
しかし、今は、市民病院の医師にそんなことが許されるわけはない。
医局での出世も諦め、臨床に進んで、経済的な見返りも減って、かつ激務である。
さらには、医療訴訟の件数も増えている。
世間のイメージとは違って、出産は今でも死の危険が伴う大変なことである。
しかも、お産は、正月だろうが夜中だろうが、当然に起こる。
休みがなくて、しかも訴えられる危険は外科の倍以上、内科の5倍だという。
当然に、皆、これを敬遠する。
おかげで、どこも産婦人科医師不足である。
同様のことは小児科にも言える。
生まれるまでは産婦人科だが、生まれてしまえば小児科である。親は、自分の子供のことになれば、取り乱す人も多い。
ベテラン小児科医が、若手のいない病院で昼間勤務のあと当直、48時間勤務の生活を連続していれば、燃え尽きるのは当然だ。。。


評価は☆☆。
大学病院の改革が、やがてトンでもない事態を引き起こしていくというメカニズムが、リアルに描写されている。
救いがないのは、世間の「よかれ」と思う改革が、次々とマイナスの効果を生むことである。

昨日も、無痛分娩で事故が起きて、赤ちゃんは取り上げたものの、母体が死んでしまった事故で医師が業務上過失致死で送検されたというニュースがあった。
無痛分娩での事故率があるのは避けられないのだ、と産科医なら説明するはずである。
そもそも、お産が危険なのだから。本書によれば、出産で亡くなる人はいまだに0.5%はいるとのこと。
しかし、それでも母体が死んでしまえば、産科医は送検される。下手をすれば起訴である。
別に医師はどこにも逃げないのだが、そうなれば自動的に逮捕、勾留となる。
病院では「あそこのお医者さんはタイホされた」となる。
産科医がいなくなった病院が、産婦人科をやめてしまう理由である。
出産は、隣町の病院に行ってもらえ。そのほうが、中期的にみれば、病院経営上は得策である。
利益の割に、リスクが高すぎるのだから。
さて、皆が得策をとると、どうなるだろうか。

当たり前のことが起こるだけ、なのである。

本書はいう。
皆、医師に高潔な倫理を求めすぎだ。そのくせ、かつてのように医師が抜群に尊敬される職業でもなくなった。
医師も人間に変わりはない。割が良くて、楽で、経済的にも見返りの多いほうが良いに決まっている。
わざわざ、苦しい道を好んで歩く人は多くないのである。
大学病院の改革というのなら、医師に、格別の倫理を求めることはしない仕組みを目指すべきだ。。。

ほんとにそうだなあ、と思う次第ですねえ。まったく。