Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

音もなく少女は

「音もなく少女は」ボストン・テラン。

あの「神は銃弾」を書いたテランの長編である。
で、結論から言うと、やっぱり傑作だ。

舞台はNYのサウス・ブロンクス。私が大学の頃は「世界一危険な街」と言われていた。
それ以前は、そうではなかった。
そして、それ以後は、NY市の徹底した対策が功を奏して、再び安全な街に戻ったようである。
この小説は、それほど危険な街でなかったブロンクスが、ベトナム戦争を経て恐ろしい街に変貌する様子を背景にしながら、人種差別と障害者差別に苦しんで生きた三人の女性を描いた物語である。

最初に愛の象徴としてイブの母親、クラリッサが登場する。
姉のメアリーは聾者であり、父ロメインは「今度はまともなやつが欲しい」といって、嫌がるクラリッサを強引に身ごもらせたのだ。
だが、生まれた子供イブは、やはり聾者だった。
メアリーはろくでもない父親のために早世してしまい、母クラリッサは乱暴でヤク中の父から信仰と愛の力でイブを守ろうとする。
教会の堅信礼で出会ったドイツ移民で独身女性フランの家に避難することになったのだ。
怒りに駆られたロメインは、クラリッサを殺して埋めてしまう。
もちろん、当時のブロンクスの警察では、そんな事件は山程あり、単に失踪として片付けられただけだ。
生き残ったイブは、フランの深い愛によって育てられる。
実は、フランはナチス・ドイツ支配下で育ち、ユダヤ人の恋人と国境を越えて逃げようとして捕まった。
恋人は射殺された。フランは、ユダヤ人を身ごもっていたので、当時のナチス・ドイツの優生法のもとで荒っぽい不妊手術を受けることになった。
拒否すれば殺されるしかないのだから。
フランは、子供を埋めない体なって、アメリカに逃げてきた。
キャンディ・ストアを開店して、今ではそれが彼女の唯一の資産なのだ。

そのキャンディストアに、ミミという幼い女の子が逃げてくる。彼女も耳が不自由になりはじめている。
悲しみ自暴自棄に陥る彼女に、イブは「自分は音というものを聞いたことがない。それでも世界にはたくさんのものがある」と伝える。
このシーンは感動的である。

因果はめぐり、今度はイブがミミの庇護者になることになったのだが、そこにミミの父親、麻薬の売人ボビー・ロペスが立ちふさがる。
イブの恋人チャーリーは、3人の女を守ってロペスに立ち塞がる。
すると、ロペスは、ならず者を雇ってロペスを射殺してしまうのだ。
悲しみにくれたイブは、ついに覚悟する。ロペスを亡き者にすると決めて、フランが保管していた拳銃を持ち出すのだ。
雨が降りしきる夜の街で、イブはロペスを撃つ。
ボロボロになって帰ってきたイブに、フランは告げる。
「あなたには若さがある。ミミには保護者が必要だ。だけど、私の人生は、もう残りのほうが少ないから」
フランは、イブの身代わりに殺人犯として警察に自首するのだ。

しかし、ロペスの罪状とフランの行為は同情をもって受け止められ、彼女は10年の刑期を3年少しで仮出所することになる。
フランは、懐かしくキャンディストアに帰ってくる。そこには、写真家として成功を納めつつあるイブと学校に通っているミミがいる。
物語は、フランの病気から最後の静かな情景に。


ストーリーはシンプルで、なんということもないのだ。
しかし、繰り返される男たちの迫害、スラム化するブロンクスの中で、障害に立ち向かい、自分らしさを失わずに必死に生き延びようと苦闘する主人公の姿は胸を打つ。
評価は☆☆。
読んで損はないのだけど、この小説の良さがわかるには、少し人生経験を積んでいないと難しいのかもしれないな、と思う。


世の中の人は勝手である。
ハンディキャップを持っている人を取り上げるときは、まるで天使のような描き方をすることも珍しくない。
しかし、実際は違うのだ。
当たり前だけど、この世の中を生き抜くために、彼ら彼女らも毎日戦っている。
本当に感動を呼ぶのは、その懸命な姿のほかにはない。

オウム真理教の麻原が盲目だったことに言及しないマスコミは、表現者としては腰が座っていないと思うのだ。
「障害者がとんでもない大悪党だった」ということは、彼らの表現のルールとして都合が悪いのだ。
しかし、障害者であれ、移民であれ、あるいは(生意気な)女性であれ。みんな、戦っている。
中には、犯罪者も出てくる。それが真実だし、だからこそ、真面目に頑張っている人はすごいのである。

普通の人生なんて、なかなかないのだ。
生きていくのは、いろいろな意味で、実は難しい。
とりわけ厳しい環境に置かれた人をみるたびに、我が身を省みながら、そう思うのですよねえ。