Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

井の中の蛙

カルロス・ゴーン氏がルパン3世のような脱出劇(ハリウッドの映画ができそうです笑)をやって、レバノンに逃げてしまった。

で、森法務大臣が2度も会見を開いて「無実であるのなら、自ら証明せよ」と。

この人は弁護士資格をもっているのである。その法務大臣が、被告人に「無罪の証明をしろ」というのだから、語るに落ちたと言われても仕方がない。

 

日本の有罪率は99パーセントである。

もちろん、検察が有罪にできると完全に確信してから起訴をする、という日本の制度(というか伝統)によるものなのだが、だからゴーン氏がただちに有罪とは、いえない。世の中には例外があるからである。

やっぱり有罪は最後まで検察が証明すべき義務を負うのであって、被告人に無罪証明を要求するのは間違いである。「推定無罪」の原則が崩れてしまう。

だから、日本の裁判は「推定有罪」だ、近代法の風上にもおけぬ人権無視の産物だと非難されてしまう。

 

国内でニュースを見ていると、ゴーン氏の主張について、欧米のニュースメディアも冷淡で「それみたことか」と日本人は思ってしまうだろう。

ところが、英語版のツイッターやネット論壇の調子をみると、実はほぼ8割がゴーン支持なのだそうだ。

「日本の裁判は人質司法で推定有罪の後進的なもの」だという批判は、ゴーン氏の犯罪とは別に、多くの支持を得ているのが実体なのである。

今や日本に住んだことのある外国人も増えており、中には警察や裁判のお世話になってしまった人たちもいる。彼らが発信する日本の刑事制度の内容が、欧米人にとってはひどく遅れた制度にみえる。

たとえば、警察の取り調べにおいて、弁護士の同席が許されない。これは欧米では考えられない事態である。で、すっかり警察の有利な証拠を握った上で、はじめて弁護士を呼んで裁判をする。これでは、最初から勝負がついているではないか、というのである。

 

実は、日本がGHQ占領下にあった時期、警察の取り調べにおいて、弁護士の同席が認められる制度になった。GHQ占領が終わったあと、検察が猛烈な勢いで巻き返し、戦前と同じ制度に戻してしまったのである。おそるべし。

 

韓国のニュースの翻訳をみるたびに、あまりに自国に都合の良い報道しかなされていないことに呆れて「これじゃあ井の中の蛙になっちまうのも無理からんなあ」と思っていたのだが。我が国も、どうやら大同小異ということらしい。

 

根拠のない自信ほど、厄介なモノはないと思うのだがなあ。

昔の日本人は「我が国は欧米に劣っている、マダマダだ」といって、コンプレックスを揶揄されながら、制度も製品も、改善に努力してきたものである。

「オレも一流になった」とハナにかけるようになっては、まず没落は免れないだろうなあ、と思う次第なのでありますよ。