自民党の堀井学議員が、香典を有権者に配ったかどで、公職選挙法違反で捜査を受ける事態になっている(自民党は離党)。例の裏金問題の捜査をしていて、この一件が浮上したらしい。議員が香典を出すのは買収にあたるというのでご法度になっている。例外は、議員自身が葬式に列席したときで、このときは手ぶらはまずいので、常識的な額ならオッケーということになっているのだが、堀井議員は秘書が贈っていたからアウトなのである。
実は、自民党の裏金問題というのは、罪名としては大したことがなくて、ただの政治資金規制法違反で軽微なほうだ。つまり、本来は記載すべき寄付金を記載しなかった。自民党が議員の政治団体に寄付すること自体は、別に現在、違法でもなんでもないからだ。野党がいう「企業団体献金の原則禁止」が通れば別なのだが、この「団体献金」が悩ましくて、つまり政党が受け取った政党助成金を議員個人の後援会などに寄付できないとなると、政治資金は基本的に党務だけに使うことになってしまい、一番カネがかかる選挙に使いにくくなる。そりゃだめでしょ、という反対論にも根拠はあるわけだ。
で。話はここからなのだが(前置きが長くてすまない)よく言われる「選挙にカネがかかる」とは、どういうことなのか?実は、その一端がこの堀井議員の話なのである。
つまり。もちろん、選挙活動そのものにもカネはかかるのだけど(ポスター印刷、はがき印刷と発送、選対事務所費用、そのた七つ道具の手配など)しかし、それだけでカネがかかるわけではない。平たく言えば「カネが必要な相手がいるからカネがかかる」のである。堀井議員の話は氷山の一角なのだが「面倒をみておかないと、選挙のときに票がもらえない」のもあるし、別の形でカネを要求する団体その他もいる。ぶちまけてしまうと「カネがかかる有権者」がいるので、カネがかかるのである。
もちろん、こんな話は堂々とするわけにはいかないので、政治家は「選挙にカネがかかるから」というのですが、「どうカネがかかるんですか?」と質問されるとまともに答えない。もちろん、こんなカネは表沙汰に出来ないので、収支報告書に書けない。書けないと、使途不明金になってしまう。それはまずい。なので、収支報告書に「書かない収入」でそこを賄う、、、そういう構図なのである。
政治家の本音をぶちまけてしまうと「そりゃ、オマエラ有権者がカネを欲しがるからカネがかかるんだ」ということになるのだ。。。
で、そんなことをして当選した政治家の面々がご覧の通り、というわけだ。そんな選挙民にふさわしい政治家になっているという意味では、民主主義はうまく機能している。
私が選挙のたびに趣味にしているインディーズ候補たちだが、落選覚悟で手弁当で出てくるだけ、かわいいものだと思っているのだ。