Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ノヴァ

「ノヴァ」サミュエル・R・ディレイニー

「P・K・ディック」「トマス・M・ディッシュ」「サミュエル・R・ディレイニー」をニューウェーブSFの「3D」などと持て囃していた時代があった(すでに過去形)。
そのディレイニーの代表作で、学生時代にひどい翻訳で読んだはずなんだが、記憶がない。ハヤカワ版で再読したわけだ。

それでわかったのだが、これはたぶん原文が相当ややこしい文体が意図的に使ってあって、分かり難い文章になってしまっているいのだな。だから、翻訳者のせいではないようだ。

話の筋は、「イリュリオン」という仮想の超貴重な金属があり、それをノヴァ(新星)までとりにいく冒険談。で、実は「聖杯物語」を下敷きにしているから、いろんなメタファーがありますってことになっている。だけど、自分は読みながら「西遊記」のほうが近いじゃん、と思った。というか、手下とか、物語上「往きはあるけど帰りの記述がない」とか。

そもそも、メタファーなんぞ、読む奴の妄想じゃないのかな?
妄想の材料小説としていいんだろうが、正直、これが「名作」だとは思えなかった。
3Dとは云っても、やっぱりディックには及ばない。
たぶん、あと半世紀後にもディックは残るだろうが、あとの2人は微妙だな。。。
こういうのを「時の審判」というのだろう。

評価はナシ。
好きな人が読めばいいんじゃないか。
NW-SFは、小説そのものよりも、小説が読み手に惹起するイメージそのものを意識した面があった。
だけど、そんなものは「色々」でお終いだった。
勝手にわき起こるイメージを「売り」にはできない。
その意味で、今ならNW-SFは「目的と結果を勘違いした小説の試み」だったと総括できる。
だって。
「幸福になりたい」から、薬物で「幸福な気分」を申し分なく味わえるけど、それを「幸福」とは云わないだろう?それは、薬物が「幸福感」そのものを目的にしているからだ。「幸福感」は結果であって、目的ではないのだ。

若かったころの短絡と情熱。それなりに、私も歳をとったんだなぁ。
昔、SFファンだった。今でもという自信はなくなった。
ただ、どこか私の思考に、その片鱗が残っているだろうけど。