Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

新入社員研修と一休さん

ちょうどシーズンだから、新入社員研修をしている。

私「うちの製品は、誰に販売するだろうか?」
新人さん「会社です」(以下、「新」と略)
我が社の製品は、企業向けシステムだから。しかし、である。
私「会社?会社が買うっていうことだよね」
新「そうです」
私「あのさ。一休さんって、知ってる?」
新「あ、はい」
私「ほら、あの屏風の話を知っているかな?虎を縛るっていう」
新「ああ、縛るから虎を追い出してくれっていう話ですよね」
私「うん、そうそう。ところで。会社が買うんだよね?じゃあ、その『カイシャ』とやらを、ここに連れてきて。僕が今から縛ってみよう」
新「え?!(困った様子)いや、まだ営業してないし」
私「じゃあさ、うちの会社でいいよ。さあ、カイシャを連れてきて!」
新「あ、わかった。カイシャなんていないんですね。。。」
私「じゃあ、誰が買うのかな?」
新「社長さん。。。」
私「そうだね。専務さんとか、部長さんとか、社長の奥さんという場合もあるけどね(笑)それがお客様だ。カイシャなんて縛れないのに、モノを売ることはできないよね」

君たち。若いんだから、何もそんなに慌てて「カイシャ人間」になることはないだろう?
どうせ放っておいても、私みたいに中年オヤジになってしまえば、自動的に「カイシャカイシャ」と自然に考えてしまうようになるのさ。
だけど、実は、目の前の「人」がいつだってお客様なんだ。。。


ところで。
この「一休さん」の論理は、なかなか素晴らしくて、物事を考えていくのに非常に役立つ。実証精神、というのだろうか。科学的思考法である。

「罪を憎んで人を憎まず。人を罰するのでは無く、罪を罰するのである」「それなら、罪だけを檻に入れて罰しましょう!だけど、人は連れてきてはいけませんよ」

「死刑になったからといって、罪が消えたわけではない!」「それはいけませんね。では、その罪をもってきてください。何度でも死刑にしましょう」

人間は「言葉」という「概念」を、存在するように考えてしまうクセがある。概念と存在は別なので、ちゃんと区別しないと、上手い言葉に騙されてしまうのだな。
どうせカイシャで仕事をしなければならないのなら、せめて、その仕事を通じて、概念と存在の区別ができるようになって欲しいと思ったりするのだ。

こういうのを「老婆心」というのだろうけど。