Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

連帯責任は嫌いだ

私は根性無しの小市民であるから、政治問題には向いてないし、そんな見識もない。市井の一中年独身男の屁理屈によって、何がわかるというのだろうか(苦笑)で、そんな男が、久しぶりに靖国問題に関して、ちょいと思うところを。

ただし、正当な力のこもった議論は、他のブログで充分読めるわけであるから、私は40過ぎ独身の偏屈野郎として屁理屈をこねるのが目的である。

システムエンジニアの世界では「フレームワーク」という概念がある。これは、あるアプリケーションを構築するときに、その基礎となるシステムを言う。
たとえば、自動車でいえば、シャーシとエンジン、みたいなもの。その上にいろんなボディを載っけると、セダンになったりクーペになったりバンになったりする。
だけど、フレームワークの枠をはみ出すものは作れない。セダンやワゴンにはなるけど、スポーツカーにしようと思ったら、そういうフレームワークを使わないとダメなんである。

で、靖国問題フレームワークは「A級戦犯合祀問題」である。参拝賛成派、反対派、それぞれの議論はつまるところ「A級戦犯など存在しない」「いや、侵略戦争の責任者である」という対立である。
私は、このフレームワークが気に入らないのである。

高校野球で、監督やコーチが不祥事を起こして、その高校が出場辞退になったことがあった。辞退といえば聞こえは良いが、早い話が「辞退するように圧力」があるのであって、なにやら参拝自粛に似ている。
私は、かつてこの処分を「スポンサーたる朝日新聞の不見識だ」と批判した。そりゃ、戦時中の「連帯責任」そのものではないか。不祥事を起こした指導者が責任を問われるのが当然であるとして、だからといって選手が出場辞退とは、民主国家に似合わぬ始末というべきである。親が犯罪者なら子ども、一族郎党揃って江戸ところ払い。まるで封建時代の措置ではないか、天下の良識の朝日新聞が聞いて呆れると批判したわけである。

さて、ここまで書けば、もうおのずとお分かりであろう。
参拝問題を「A級戦犯問題」とするフレームワーク自体が、私には納得がいかぬものである。だって、考えてもみよ。仮に(もちろん、諸説あることを承知の上で)A級戦犯に罪ありとしたところで、対象者は14人である。祀られている英霊は240万柱を超えるのである。
「14柱に問題があるので」「240万柱は自粛せよ」ということになる。
さて、240万柱の立場に立って考えてみよ。自分らに参拝がないのは、14名のために「連帯責任」をとらされている、ということになる。このような問題設定のあり方が、仮にも民主国家にふさわしいものかね?高校野球を遙かに超える連帯責任の論じ方を、なぜ誰も問題にしないのだ?

かつて、社会党左派でさえ、戦犯釈放を主張したわけであるし、靖国参拝を問題にしていたわけでもない。意見が変わったのは、明らかに中共と韓国のクレームの後である。中国共産党は、実は民衆のことなんぞ、これっぽっちも考えちゃいないので、常に指導者達だけが問題である。だから、靖国でも同じ論法を主張するわけだ。一般兵士は無視である。
だけど、本来の民衆の立場に立脚してモノを考えるならば、エライ奴だか将軍だか知らないが、たかだか14人にすぎんではないか?それより、240万人の戦場に倒れた同胞たる一般兵士をどう遇するのかが問題であろうが。
A級戦犯問題など、一般民衆を無視し、一部のエリートだけを問題にする議論の立て方で、まさしく噴飯ものの議論ではないのかね?なんで、戦後の民主日本においてさえ、このような壮大な「連帯責任」議論がまかり通るのかね?

それは、朝日新聞が、高校野球でいまだに「出場辞退」という名の「連帯責任」を野放しにするからだ。まず、ここから改めるべきである、と考えるのである(笑)見事な腰砕けの議論であるなぁ。。。

40過ぎた独身野郎なんて、どう転んだって、屁理屈を並べなくちゃ気がすまないわけだなぁ。