名投手、村田兆治さんが火事で亡くなった。突然のことで驚くとともに、この名投手の最期を惜しむ。
私が高校生の頃、日米野球があって、大リーガーが観光気分でやってきて日本の野球選手をついでに(苦笑)こてんぱんにやってやろうと乗り込んできたのだ。
そこを迎え撃った全日本野球チームは、先発がこの村田投手、その後、江川、小松といずれもスピードガンで150KMをマークする快速球投手を並べた。
さすがの大リーガーも手も足もでず、私は「やったぜ」とテレビの前で大喜びした。
先発した村田投手はマサカリ投法というダイナミックな投球フォームから、豪速球と鋭いフォークボールを投げて、完全に大リーガーを抑え込んだ。
後年、あの落合選手は「エースと言えるのは斎藤雅樹と村田兆治だけだ」とまで述べていた。それぐらい、エースの風格があった。
肘をいためて日本人選手で初めて「トミー・ジョン手術」を受けて見事復活、「サンデー兆治」として日曜日ごとに大観衆を集めて快投を見せてくれた。
引退後は、少年野球の指導で「速いボールを見せてやりたい」とトレーニングを怠らず、50歳を過ぎても140km、還暦を過ぎても130km以上をマークして「いっそ現役に」と話題になったものだ。
毎日、厳しいトレーニングを引退後でも欠かさなかったという。
先月、突然、空港のセキュリティチェックでひっかかったことに腹を立てて女性スタッフに暴力を振るったというので逮捕された。
あの時、実は少々おかしいと思った。
村田氏は、少年野球の指導で毎日のようにあちこち移動する生活を続けている。
つまり、空港のセキュリティなどは慣れっこであるはずなのだ。自分の不注意で何かが引っかかったのだろうが、それに自分で気がつくことができずに立腹している。
突然、怒りだすのは認知症の初期症状でよくある。
また、火事を出すのも、この病気の初期症状で、よくあることだそうである。
本人も知らぬ間に、病魔が忍び寄ってきたのかもしれない、と思ったりする。
昭和の大スターが、こうしてひとつ、またひとつと消えていく。
自分の若かりし頃の思い出である。
やはり、切ないものです。。。