Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

僕の死に方

「僕の死に方」金子哲雄。副題は「エンディングダイアリー500日」。

私は今年53歳で、もうすぐ54になる。
昔は人間50年だから、そろそろ支度をしなければいけない。
しかし、正直なところをいえば「え、もう、ですか?」という感じである。
つい先日まで、いそいそと学校から帰ってプラモデルをつくっていた気もするし、試験勉強をさぼって本を読んでいた気もする。
会社にはいって、上司の目を盗みながらサボりまくっていたはずだ。
ベンチャーに参加して、新商品を売り歩く日々にやりがいを感じていた。
そのうち開発をやることになり、塗炭の苦しみを経ながら、なんとか自分なりの開発スタイルを確立した。
株式上場して、東証で鐘を鳴らした。
ボロアパートの1室で、その株価をみて「あの押し入れに入っている株券が億かよ。。。」と驚いたし。
そのうち、会社の身売りの悲哀とか、その後の苦しさも、眠れない日々、そのうちにささやかながら自立した商売をして、ようやく法人税を支払えるようになったりした。
まだまだ、だと思っている。
なのに、もうオシマイか?となるだろう。

金子氏は、テレビでよくお見かけした流通ジャーナリストである。
明石家さんまさんにいじられながら、「今テレビを買い換えるのなら、、、今じゃありません!」などといって笑わせ、商品の入れ替えタイミングで型落ち品を狙え!といったお得情報を提供されていた。
その金子氏は、肺カルチノイドという肺ガンの親戚のような難病で、わずか41歳で生涯を終えられた。
余命ゼロ日、いつ死んでもおかしくありませんという医師の宣告を受けた金子氏は、最後まで自宅療養の傍ら、仕事をすることを選ぶ。
そして書き上げたのが本書である。
病気の顛末、病状の進行、そして自ら、自分の葬儀のプロデュースを行い、会葬者に「楽しませたい」という。
お医者さんはもちろん、縁のあるお坊さんも、墓地も見つける。
葬儀は、おかげでホールではなくて、お寺で行うことになった。
もちろん、葬儀会社にも事前に話をつけて綿密な打ち合わせ済みである。

最後まで金子氏を看取った奥様の手記がついている。
これを読むと、いかにこの夫妻の愛が強かったかを感じることができる。
金子氏だって、自分の死を、最初から受け入れることができたはずがない。
「わかちゃん(奥様のこと)と別れるのは嫌だ」と号泣したという。心中いかばかりか。
しかし、彼は最後まで「流通ジャーナリスト」として生きた。

涙なくして、本書を読むことはできない。
評価は控えたい。
評価の対象と考えること自体を、はばかられる何かがそこにあるからである。

金子氏も奥様も、何度も「何者かが」お迎えに来ているのを感じた、という。
一度は人事不省に陥った金子氏だが、どうしていったん持ち直したか、わからない。
しかし、本書を仕上げなければならない、編集者が来るから、といって、少しお迎えを伸ばしてもらったのだ、という。

そういうことは、あることだろう、と私も思う。
我々の意識は物理的な脳の反応であるが、その脳を構成している分子自体が、当然に新陳代謝を繰り返す。
人の体は、3年後には物理的には別の分子に総入れ替えが済んでしまう。
しかし、その人は3年経ってもその人であることに変わりない。
時間の流れは、波動方程式では現れず、それを認識するのは人間だけである。
素粒子は、人間が観察することによって、その位置を確定する。
おかしな話だが、しかし、量子論の結論では、そうなる。

昔は、おもに僧侶が不思議を説いたはずである。
いつしか、それは「非科学的」だとなり、宗教に変わって科学というものを、人々は信仰しはじめた。
しかし、現代人が考える科学というものは、それ自体がひとつの思潮にすぎない。
科学の成果のうち、科学的だと思われる(我々の目から見て説明がつきやすいと思われるもの)を選択した結果だからである。
実際の科学の現場は、そこまでクリアでない。

迷信や不思議というのは、説くものではなくて、たんに「あるもの」である。
善悪ではない。

私は、もう少し先にお願いしたい。
そのときは、そう言ってお願いしてみるつもりがある。今のところは、である。