Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

成長戦略のまやかし

「成長戦略のまやかし」小幡績

2013年に出版された本である。
アベノミクスに対する評価は、すでに「イマイチ」ということで、衆目が一致すると言っても良いと思う。
反リフレ派が言ったようなハイパーインフレは起こらず、しかし、経済が好転したかといえば、円安効果のほかはなかったということであろうと思う。
とくに3本の矢の3本目「成長戦略」については不発だったということは、あまり異論がないと思う。
ならば、当たったと(いささか苦しい、というのは今から分からないからだが)いえるのかと思って読んでみたのだ。

私には、経済学者の言うことはよくわからないのであるが、そのわからない理由が、大きく2つある。
以下に説明する。

1.経済学者によって主張がまったくバラバラどころか、正反対であること。少なくとも、他の学問で、ある現象を見たときにそこまで知見が別れることはない。少なくとも定説というものがあって、そこからの解釈が分かれたりする。
ところが、経済学者だけは、リフレにしろ、インタゲにしろ、いや増税だ、緊縮だ、破たんだと、まあ言う奴によって、見事なくらいばらばらである。
こういう現象は、いまだ学問化されていない分野(たとえば超心理学つまりはオカルトなど)では見られるが、ほかは聞かない。
あえていえば神学か、宗教の類である。あるいは、疑似科学である。
経済学は、ホントに学問なのか?

2.予測が当たらないこと。
他の学問では、仮説や予測が立てられて、実測と合致すれば、その理論は正しい、間違っていれば理論は誤りである。そういう検証を経ている。
数学でも、証明問題には予想があって、その証明が出来れば問題は解決である。
経済学では、基本的に仮説や予測が当たらないようだ。過去の出来事を、みなが得意そうに解説する。
宗教では「信心が足りなかったから」で、過去の出来事は皆、矛盾無く説明できる。出来ないのは未来の予想である。
それゆえに、宗教は科学ではないのである。仮説の検証に耐えられないからである。
経済学は、科学といえるのか?

である。
誰か、詳しい人がいれば、真実を教えて欲しいものである。

科学ではない学問としては、文学や芸術、あるいは哲学などの人文系がそうであろう。
これらは、最初から「一個人の見解」であることを出発点にしている。
経済学が不思議なのは、あたかも自然科学であるような顔をすることである。人文科学であるなら、経済学の論文は、読書感想文とさして変わりはない。
実際にそうではないかと思うのだが、どうも、何かが違うようである。

さて、閑話休題
当たらない予想で定評のある(笑)小幡績氏の本である。
アベノミクスの3本の矢のうち、3本目の「成長戦略」はダメだというものである。
理由は簡単だ。
まず、政府の役人に、成長戦略は書けない。書けるのであれば、役人になっていない(苦笑)。
そして、民間は、成長戦略という名の下に、美味しい果実が落ちてくるのであれば、当然にそれを拾おうと努力する。
本来は、市場で競争力のある商品を出すことに努力しなければいけないのであるが、補助金やら税優遇やらの措置を受けるほうが利益が大きいわけだ。
なので、そちらに努力を傾注する。すると、本来の競争力を失わせることになる。
良い例がエコポイントによる液晶テレビであった。
世界では、そんな高価なテレビを誰も必要としていないのに、日本ではエコポイントがあるので、そのために高価で機能の豊富なテレビを日本メーカーは量産した。
もちろん、国内では売れた。
しかし、エコポイントが終わったら、在庫の山になった。海外でも売れない。
日本メーカーは世界市場で「そこそこの品質で安くて大きなテレビを量産する技術」で出遅れてしまい、以後、韓国製テレビに勝てないままである。
同じ事は特区にも言える。
立地戦略は間違っている。規制緩和というのは、つまりは規制を残すことである。その残った規制(それも特定の勢力に都合が良くなっている)に適応した企業が成長して意味があるだろうか?
ゆえに、成長戦略はうまくいかない。
国が投資すべきなのは、「人」以外にないのであり、つまり教育である。

まあ、そんな話だ。
主張自体は、確かにそうだなあ、と思う。
あんまり間違っていない気がする。
ただし、そうではないという統制経済大好き派の主張をする本(中野剛志氏あたりが極点か)を読むと、好きではないけど、まあもっともだと思える部分もあるのである。
で、つまるところ、どっちも宗教くさい。
自由経済教」と「統制経済教」である。
私は、自分自身が大いに宗教的な人間であると自覚しているので、宗教だから嫌いではないけど、学問としてはどうなのかと思うわけだ。

評価は☆☆。
主張自体はクリアだし、読みやすいと思う。

で、結論は。
やっぱり私には、経済はわからない。
経営は少し分かるのであるが、それはミクロ経済なのだ。
マクロ経済とミクロ経済は違うのである。
量子力学と相対論の予言が異なるのは、物理学では大問題なのであるが、ミクロ経済とマクロ経済の矛盾があっても問題ではないのかな?
まあ、そんなことが気になるのは、自然科学的な理解をしようとする私に問題があるんだろうなあ。