Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

コシヒカリより美味い米

コシヒカリより美味い米」佐藤洋一郎

今のコメは、ほとんどがコシヒカリの親戚とか孫である。
あきたこまちとか、はえぬきとか。
そして、日本の作付面積の4割近くがコシヒカリで、まさにナンバーワンのコメなんである。

そのコシヒカリが「偽コシヒカリ」が出回っているというので、問題になったことがあった。
そのときに、DNA検査が決め手になったわけである。
ところが、その農家の中に「うちは、コシヒカリをずっと作っているのに、おかしい」と主張する人がいた。
調べてみると、その農家では、代々、種籾を前年のコメから確保して、作り続けているのである。
当たり前だと思うかもしれないが、今の農家は代掻きして苗をつくる手間を省いて、種籾を残さずに苗ごと買ってくるところも多いのである。
そして、毎年作り続けてきたコシヒカリが、調べてみると「コシヒカリでないコメ」が、かなりの割合で混じっていたのである。

これは、自然に栽培していれば避けがたいことである。
コメは自家受粉可能であるが、ほかのコメから飛んできた花粉でも受粉する。
コシヒカリ以外のコメの花粉で受粉したら、コシヒカリではなくなる。
さらに、もとのコシヒカリといえども、すべてが同じDNAではない。グループとしてコシヒカリの特性を示しているだけなので、普通に栽培していると、中には突発的にもち米に先祖返りしてしまうやつだって混じっている。
となると、さて、本物のコシヒカリとは何か?
作者が調べようと思ったが、すでにオリジナルのコシヒカリの種籾はなかったそうだ。考えてみれば当たり前で、何十年も前の籾である。
とすると、今のコシヒカリとは、いったい何だろう?
代を重ねると、だんだんと品種の質が変化していくのは、どうしても避けがたい。
これを、その品種が「ぼける」といい、ついには品種の寿命を迎えてしまうのだという。

生物の種とは、そもそも何だろうという疑問に最後は突き当たるのだ。
たいへん興味深い本である。
評価は☆。


品種が「ぼける」という話であるが、コメでなくても、日本酒の酵母にもあった。
昔の酵母が、だんだんと変質し、今では失われたものがかなりある。協会3号や4号などはそうである。
有名な協会7号(真澄酵母)も、単離後は変質したと杜氏がもらしていたらしい。
私には理由は分からないが、同じ協会酵母7号を使った酒と、オリジナル蔵の「真澄」を飲み比べると、明らかに「真澄」のほうが香りが高い。
今の協会7号は、現在の真澄に住み着いている酵母とは違ってきているのかもしれないと思う。

つまりは、コメも酒も、実は生き物なんですなあ。
相手は生き物だから、いつまでも同じ工業商品のようにはいかない。
だんだん変化をして、ついには滅びたり、ほかの種に取って代わられたりする。
厳密には、今年のコシヒカリと来年のコシヒカリは違うし、新潟のコシヒカリと福井のコシヒカリも違うわけである。それぞれが独自に代を重ねてきたからである。
そう考えると、毎日いただくコメも、一層ありがたくなるような気がしますなあ。