Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

「弩」下川博。

この人の小説は初めて読んだ。
舞台は鎌倉時代の末期から室町時代の初期で、因幡の国の智土師郷という村である。
吾輔という小作農がいたが、彼の力量を認めた村人は、彼を自作農にする。
村は地侍の荘園だったが、その侍は寺社に対する祈祷料を支払えなかったので、智土師郷の領主は鎌倉の称名寺に変わった。
その称名寺からやってくるはずの坊さんが病気になり、かわりにお付きの若い私度僧(正式に得度を受けていない僧)がやってくる。
彼は、村を師のいう「浄土」にするために、まず貧窮にあえぐ村の税をいきなり免除する。
彼は、浄土とはまず税を取られぬこと、そして順番通りに死んでいくことだと考える。
おまけに、持ってきた財をすべて村のために投げ打ってしまう。どうせ称名寺から持ってきた財なのだから、浄土のために使ってしまおうと考えたのである。

吾輔は奮起し、村を富ませるためには商業しかないと考える。
その吾輔に、僧は資本金にあたる朝鮮人参(今の値にすれば数千万に匹敵する)を惜しげもなく与える。
吾輔は、偶然行き会った侍の姪を娶ることになり、縁ができる。その侍の主は、摂津の国の楠木正成という武将だった。
吾輔は侍の縁で瀬戸内海の因島に行き、村の産品である柿渋が九州で良い音で売れることをつかむ。
さらに、交渉の末、柿渋の代金を塩で受け取ることに成功する。
当時、塩は専売品であり、めったには外部の者が参入できない商売だった。
吾輔は見事に村を特産品を作り上げ、塩の商売で村を富ませることに成功した、というのが第1部である。

第2部は10年後の話で、村は誰もが豊かになっている。
その村の財を狙って、地侍が攻めてくる。
称名寺の荘園を認めた鎌倉幕府はもうないのだから、自分のもとに戻せ、塩の商売にも50%の税をかけるというのである。
村の百姓が渋ると、数人の村人が見せしめに殺されてしまった。
ここに至って、村は地侍に対抗しようと考える。
かつて、吾輔の商売のきっかけをつくってくれた侍の一党を、吾輔は雇うことにした。
農民が侍を雇ったのである。
楠木正成のもとを「絶対に死ぬ戦は馬鹿げている」として脱出してきた侍は、村に見慣れない兵器を示す。
それは弩である。分かりやすく言えば、クロスボウである。
鎧をも貫く威力を持つ反面、重く、また次発までの時間がかかる。命中率は高いので、防御用には威力を発揮する武器である。
これこそ村を守る武器だと吾輔は考え、村人総出で訓練に励む。
訓練の結果、僧がもっとも腕が良いとわかる。
僧は、殺生戒があるから、人を殺すことはできないし、ましてこの僧は虫も殺せぬ優しい性格だった。
しかし、地侍の横暴に怒る僧は、攻撃隊の隊長となることを引き受ける。
いよいよ、地侍が攻め寄せてくる。
騎馬侍の放つ矢は、人の首なんか、簡単に吹き飛ばしてしまう威力である。
しかし、策がはまって、彼らは待ち伏せ罠に侵入してくる。
僧は、攻撃のとき、己の心を奮い立たせるように叫ぶ。「果断!」。。。


金沢文庫にある称名寺の文書で、あの「七人の侍」のもとになったと言われている話が題材である。
農民が銭で侍を雇って、戦うのである。
言うまでもないが、こんな話が面白くないわけがない。
評価は☆☆である。
一読の価値ある、素晴らしい小説である。

この話を深みのあるものにしているのは、称名寺からやってきた「浄土をつくる」理想に燃える私度僧の存在である。
彼は村に請われてそのまま残り、村のこどもに読み書きを教える先生になる。
自分で言うとおり、書のことは知っているが、現実を知らず、医術の心得があるものの、血を見るのが怖くて医者になれなかったという人物である。
その彼が、村の窮状を救うべく、立ち上がるのである。
凄惨な戦場の有様に顔面蒼白になりながらも「果断!」と叫ぶ僧の姿が目に浮かび、なんとも言えない凄みと悲しささえ感じさせるのである。

著者は、脚本などのライター稼業をしていたようだが、デビューは遅く、50代もなかばになってからだったようだ。
遅咲きながら、なんとも優れた作品を書く人だと思う。
機会があれば、他の作品も読んでみたいと思ったのだが、どうも、その後の作品が見当たらない。
こういう人ほど、寡作なのである。

遅咲きで寡作、というのは、読者にとってはなんともたまらん事態でありますが(苦笑)。
ここのところの出版不況で、なかなか次作の上梓もできにくいのかな、と考えたりもするのである。

ラノベだろうと漫画だろうと構わんから、もう少し出版物が売れてほしいと思ったりもする次第である。
少なくとも、出版業界では、トリクルダウン効果はかなりあるんですからねえ。