Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

暗黒館の殺人


熊本県の山中に人魚伝説のある池があって、その池の中島に暗黒館と呼ばれる洋館が建っている。
なにやら、風変わりな建築家がかかわったらしい。。。となれば、綾辻ファンにはお決まりの「館シリーズ」である。
この館に尋ねてみようと思い立った江南は、その往路で自動車事故を起こし、ともかく暗黒館を目指す。
そして、どういうわけか屋敷内の塔に上り、そこで折り悪く起きた地震によって落下、なんとか奇跡的に外傷は負わずに済んだものの、記憶をなくしてしまう。
その塔で、彼を救助したのが館の主の長男、浦戸玄児と”中也”である。本名は別にあるのだが有名詩人と似ているというので”中也”と呼ばれている。
地震のために館は外部と連絡がとれなくなり、嵐のためにボートも破損。孤立してしまう。
その館の中で、連続殺人が起こる。
最初は使用人の男、次は一族の末娘、そして双子の娘のうちの一人。
玄児と中也は、館にいた全員のアリバイを調べるが、第一の殺人が可能であった者は第二の殺人ではアリバイがある、というように犯人がなかなか見つからない。
玄児いわく、この事件には館の初代当主の妻、ダリアの残した奇妙な不老不死へのドグマが影響している、という。
そして、その由来を少しづつ語り始める。
不老不死の妄執にとりつかれたダリアの肉を食らえば、それを食べた人間も不老不死になると浦戸一族は信じているらしいのだ。
そして、初代当主はいったん死亡した後に再生に失敗して、いまだに「惑って」いるのだという。
そして、さらに新たな殺人事件が起ころうとした時、すべての真相に気づいた中也はこれを阻止する。
暗黒館は炎に包まれて、犯人は火事の中で消えていく。


めちゃくちゃ長い小説で、2500枚あるそうだ。
タテにできそうな新書版の上下2冊で、最初は興が乗らず参った。こういうのは久しぶりである。
もっとも、上巻の中盤頃から俄然面白くなり、あとは勢いで読むことが出来た。

古典的ミステリというのは、犯人、探偵、ワトソン役が出てくる。
物語はワトソンの視点で書かれており、読者はワトソンが知り得た情報を知ることができる。
その情報から犯人を推理することが可能なのだが、そこは犯人が巧妙に振る舞っていて、読者は騙されてしまい、真相にたどり着けない。
そこで名探偵が快刀乱麻を断つごとく、鮮やかな推理で事件を解決することになる。

ところが、このパターンで長年やっていると、犯人役のトリックのネタが尽きてきたのである(苦笑)
すれっからしの読者を騙せないことが増えてきたわけだ。
推理小説というのは、基本的に読者を騙すのが目標であり、鮮やかに騙されてホレボレするというのが基本的な作法であるので、これはまずい。

そこで、最初から読者を騙さないミステリが登場する。
ひとつは倒叙物。つまり、犯人の視点から書いた小説だから、トリックは最初から暴露されている。うまく逃げおおせるかどうか、というハラハラを味わうわけである。
もう一つは社会派。犯罪が起こった背景、つまり動機がテーマで、たいていそこには世の中の不条理がある。これは、読者を騙す必要はなくて、社会の矛盾を鋭く描くのが目標である。

しかしながら、そもそも最初から読者を騙すことを諦めてしまうというのは、ミステリとしては残念である。
そこに、画期的トリックが登場する。「叙述トリック」である。
普通のミステリは、犯人がワトソン(=警察とか一般大衆)を騙すことで、間接的に読者が騙されることになる。
(読者は、犯人とワトソンと探偵のやりとりを眺める傍観者なのだが、ワトソンの視点しか持っていないので、ワトソンが騙されることで間接的に騙される)
叙述トリックはそれとは違って、作家が読者を直接騙すことを目的とする。
つまり、小説の「地」の文そのものがトリックなのだ。
小説家は、叙述トリックでは「中立の神」の役割を捨てて、作品そのもので読者を騙そうとする。
本作も、叙述トリック作品なのである。

だから、この作品の中で犯人が用いたトリックが古典的すぎる、という評価はまったく的外れだ。
また、結末が結局「夢オチ」じゃないか、という批判も的はずれ。
そのような小説の「傍観者」としてのジャッジを求めてはいないから。
そうでなくて、本作を読んでいる最中、あなたは騙されましたか?というのがテーマなのだ。

私は、上巻の後半あたりで気がついた。違和感を感じたのである。
実は、最初のトリックの導入に、著者はものすごく苦労している。
そのために、叙述が滑らかでない。だから、小説を読み慣れた人ほど「なんだ、このへたくそな文章は」となる。
ようやくストーリイが流れ始めると、その流れそのものがトリックになっている。

毀誉褒貶さまざまな問題作であると思うが、私は面白かった。
ただし、内容的には館シリーズの楽屋落ちなので、そのぶんは、差し引かねばならないように思う。
私個人は、綾辻氏の館シリーズに、すごく強い思い入れがあるわけではない。(良い作品だとは思うけど)
なので☆☆である。

それにしても、分厚い本というのは、重いのが難点ですなあ。手が疲れる。トシのせいかね?(苦笑)
電子書籍なら、そんなこともないのだろうが、モニタでえんえんと活字を追うのは、やっぱりくたびれる。
老眼が影響しているかもしれないな(泣)
紙の本のほうが、なんとなく優しい気がする。
老人の繰り言みたいになってきたので(苦笑)我ながら情けないねえ。