Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ロンドン狂瀾

「ロンドン狂瀾」中路啓太。

ロンドン軍縮会議は、ワシントン軍縮会議に続いて戦前、五大海軍国によって開催された軍縮会議である。
ワシントン軍縮会議は主力艦の比率を、日本が対米六割に決定されて妥結したのだが、その後、日本海軍は条約外の補助艦(巡洋艦)の設計を磨き抜き、優秀艦を続々建造する。(妙高型、高雄型)。
慌てたのが米英である。これでは、対米六割に日本の主力艦保有比率を抑えた意味がなくなるからである。
今一度、日本に圧力をかけようとした。

一方の日本は、海軍休日大正デモクラシーの一方で、英米民需にシフトしたことから輸出が不振になり、経済的に行き詰まっていた。
そこに民衆の輿望を集めて登場したのが浜口雄幸内閣である。
浜口は金解禁をすると同時に、歳出削減を行いいわゆる構造改革によって危機の打破を目指す。
当然、なんとか軍事費を削減したいのである。
加えて、英米と協調しなければ輸出の回復も望めないし、肝心の国家財政は破綻寸前の有様であった。
浜口は、このロンドン軍縮会議をなんとか成功させるべく、すでに退隠生活を送っていた若槻礼次郎を全権に口説く。
若槻は最初は固辞するが、外務省の「コップ酒の達人」や浜口に口説かれ、ついに全権を受諾する。
さて、ロンドンに向かった若槻は、最初の記者会見で「我が国は対米七割が希望であり、絶対譲れない」と言明してしまう。
当然、相手国は「七割はふっかけた数字で、本当はその下で妥結する心つもりではないか」と考える。
なんのことはなく、若槻は本当の数字をのっけから出してしまったのである。
かくて、譲歩を迫る英米に対し、一歩も譲歩しない日本という構図になる。
まったく会議は進展しない。
国内の艦隊派(強硬派)は、そんな会議など席を立って帰ってしまえと息巻く。
しかし、実際に建艦競争になれば、日本の国家財政は破綻してしまう。
とにかく条約をまとめて帰ってほしいのが日本の本音なのである。
そして、日本の外務省から出てきた窮余の策「対米6割にも7割にも見える数字」が、落とし所となる。
米国に対して日本は対米6割なのだが、その建艦時期を次の条約改定時まで延期させることで、実質は対米6割7歩5厘というのである。
これでどうにかロンドン会議は妥結する。
ところが、一行が日本に帰ると、海軍の艦隊派が批准反対で猛烈な運動を繰り広げる。海軍の「神様」東郷平八郎まで焚き付けて、中心人物は軍令部長加藤寛治である。
加藤は、ついに天皇に帷幄上奏まで行う。一方で、この条約批准は「統帥権干犯」だと主張する。
しかし、実際は元老の西園寺公望や牧野内大臣幣原喜重郎、それに昭和天皇自身の意向もあり、艦隊派の妨害は実らず。
ついに、日本はロンドン軍縮条約の批准をする。
そして、この統帥権干犯問題に憤激した一部の不満分子により、終幕の浜口首相東京駅での遭難事件となる。。。


いやあ、これは面白い!
上下二巻にわたる大著であるが、実に面白く、まったく巻を措く能わず。
評価は☆☆。

本作の中でこんなセリフがある。
「外交は正しさだけを追求すればいいってもんじゃないんだよ。 「正義は我らにあったが、国は滅んだ」では元も子もないだろう。」
まさに、そうである。
正義を貫きました、それで国はボロボロです、じゃあ駄目なのである。
白か黒なら、灰色でよいのである。それで国益を追求する。
思えば、私達の日常生活や仕事だってそうである。
正義を叫びたてることで、問題が解決するなら良いが、往々にして世の中はそうではない。
妥協も誤魔化しも必要なのだ。何のためか?そりゃ問題解決のためである。
正義を叫んで問題は解決しないのが、一番いけない。

もっとも、それも相手次第なのだけれども。
つまり、相手がそういう「お子様」のときは、こっちだけが「オトナ」になっても仕方がない、ということもある。
こっちも、わざと「コドモ」になるのも、手なのである。
ただし、潮時は慎重に見極めなければならない。
目的は、相手を追い詰めることではなくて、当方がトクをすることなのだ。
徹底的な自己利益の追求が、実は平和を生んだりする。
これが世の中の面白さなんでしょうなあ。