Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

帝国海軍の勝利と滅亡

「帝国海軍の勝利と滅亡」別宮暖朗

大日本帝国海軍を、日清戦争黄海海戦)から日露戦、大東亜戦と滅亡までを、その中枢である山本権兵衛山本五十六に焦点をあてて描いている。
著者曰く、帝国海軍は二人の山本(権兵衛と五十六)において、その生誕と栄光から滅亡までをカバーできる、という。

まず「栄光」であるが、山本権兵衛の傑物ぶりを描く。
造艦思想は当時の先端をいき、海軍についての見識も一流であった。ゆえに、陸軍の大物、山形有朋はよく山本に譲歩している。
日本は海軍国ゆえ、国防予算も陸海折半にする慣例をつくったのも山本。もともと、長州閥は陸軍で、陸軍優先であったのを改めさせた。
また、日英同盟の推進にも一役買っている。
当時の小村寿太郎は、日英でなく日露同盟の議論もあったところ「露の歴史をみるに、条約を簡単に違約する。いっさい信用ならない。英国は、奸智であるが、違約はない」として、日英同盟を締結。
これを山本は「四方を海に囲まれた海軍国たる日本が、陸軍国たる露と同盟しても国益なし」と助言している。

黄海海戦は、何よりも艦隊を追い出してくれた陸軍の乃木の働きが大きかった。
山本権兵衛は、死ぬまで乃木の揮毫を架けていたという。

日露では、東郷平八郎、島村速雄、秋山真之といった偉才、英才を得て大勝利をあげたことは言うまでもない。

しかしながら、大東亜戦争では、日本海軍は次々と判断ミスを犯す。
もちろん、海軍軍人ばかりではない。

ワシントン条約にかこつけて、米国の圧力が強まり、日本は日英同盟を破棄する方向になる。
このとき、英国大使は時の外務大臣、幣原を散歩に誘い、銀杏の木の話をする。
幣原は、「なんだ、この大事な時に、銀杏の話ばかりして」という。
銀杏は、世界的にも珍しい木であり、古代の姿をそのまま残している。英国大使は「古くからのものを、そのまま残す」というサインを幣原に送っていた。
英国大使の生物学趣味をまったく理解していなかった幣原は、日英同盟を破棄し、支那への譲歩に終始する外交を繰り返し、かえって事態は悪化する。

さらに、日独同盟を締結。かつて、山本権兵衛は「海軍国が陸軍国と同盟しても」と語った。
その陸軍国は、独逸そのものであった。

そして、最後に山本のハワイ攻撃案である。
山本は、日本の勝つ道を「海戦へき頭、一日で勝利を決する」奇襲しかないと思い定めていた。
この「ハワイ奇襲」に山本は固執し、結局、日本は日米開戦の火ぶたを切る。この時点で、すでに負けであった。
米国と開戦さえしなければ、帝国海軍は滅びずにすんだ。
まさに山本五十六こそ、日本を滅亡のふちに追い込んだ犯人である、、、と。

評価は☆。
読み物としては、まずまずであろうし、最近の「海軍悪玉論=山本五十六愚将論」の骨格が理解できる本である。
ただし、内容に関しては、やはり賛同できない部分がある。

日本海軍が艦隊決戦思想に取りつかれ、シーレーン防衛をおろそかにしたのは事実である。
もともと、対米6割の主力艦と7割の補助艦では、シーレーン防衛はできなかった。
日本海軍の基本方針は、山本の言うとおりに短期決戦で、それ以外に方策はなかった。

私も、日本海軍が勝つ方法を考えて「対英開戦だけ行う。米国とは開戦しない」しかない、と思ったことがある。
しかしながら、もしも日本が対英開戦した場合、米国が参戦してこないケースがあり得るだろうか?
そもそも、米国からは厳しい経済制裁ABCD包囲網)を受けている。
おそらく、その中で対英蘭開戦したら、米国は必ず開戦を決意するような気がする。これは、机上では成立する案で、実際にはムリではないかと思う。
海軍の「英米一体論」を、山本の責任ばかりにできないと思うのである。

そもそも、支那事変を解決できないのに、事変解決のために英米と開戦する時点で、大きく間違っている。
大東亜戦争は、基本的に支那事変の解決に失敗したことから発生しているので、海軍はたしかに愚かだったが、もともと陸軍の失敗のしりぬぐいではないかと思う。
陸軍が、大きな口をたたけたものではないであろう。

本書の指摘の中で、鋭いと思ったのは兵棋演習の弊害であった。
日米がもし戦えば、事前の予想で日本の負けである。
ところが、真珠湾奇襲で、日米の兵力差は逆転する。よって、日本の海軍指導部は「米国が仕掛けてくるはずがない」と思ってしまう。
兵棋演習すれば米国の負けだ、わざわざ負けに米国がでるはずがない、、、かくて、ミッドウェイで「突如出現」した米空母にしてやられるのである。
これぞ「官僚主義」のもっともな弊害であった。
賢い役人は、先がみえすぎるのである。

さて、最近は日本の近海が、また騒がしい。
わが海自は、実は帝国海軍の血を引いている。(陸自は、まったく別である)

今度こそ、判断を誤らないでもらいたいと思うのですなあ。