Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シューマンの指

シューマンの指」奥泉光

鼻炎レーザー治療を受けたあとで微熱が出た。
体内に火傷があるのだから、当然の反応である。大人しく医者から処方された抗生物質タイレノールを嚥んで横になっている週末となった。
そうなると、もはや読書タイムである(笑)。
好きなCDをかけながら、読書に熱中することにした。そこで選んだのが本書である。


物語の冒頭で、主人公の里橋は渡米中の旧友、鹿内から手紙をもらう。そこには、高校生のときの同級生だった永嶺の演奏会があった、と書いてあった。
里橋と鹿内、永嶺はかつて同じ高校に通って、クラシック音楽仲間として「ダヴィッド同盟」というノートを交換する間柄だった。
ノートの中身はクラシック音楽に関する評論や考察が主体である。
しかし、その後、もっとも将来を嘱望された天才ピアニストの永嶺は指の切断事故に逢い、演奏家生命を絶たれたはずだった。
なぜ、その永嶺が演奏会をできるようになったのか?里橋は疑問に思う。

その後、何年か経過して、その鹿内も不慮の病のために亡くなった。
鹿内から遺品として里橋に分けられたのが、高校のときの交換ノート「ダヴィッド同盟」だった。
里橋はノートを読み返しながら、永嶺が指を失う事故に至った経緯を思い出す。
そこには、夜の学校のプールに死亡した状態で遺棄された女子生徒の未解決殺人事件があり、その遺棄現場を里橋と鹿内、それに美術教師も目撃していた。
たまたま夜の音楽室でピアノを引く永嶺の一世一代の名演、シューマン「幻想曲」を聞いた直後のことだった。
犯人はプールに遺体を遺棄したあと、夜の闇に逃げ込んでしまい、いまだに捕まっていない。

この事件のあと、里橋は音大受験のためにピアノ練習に明け暮れたがダヴィッド同盟のノートだけが仲間の間を行き来する。
そして無事に里橋が受験に成功したあと、蓼科の別荘で事件が起きる。
永嶺と付き合っていた女子生徒(この生徒はあとでダヴィッド同盟に加わった4人目の団員だった)が永嶺をナイフで刺し、それを防ごうとした永嶺の指が切断される事件だった。
永嶺の指は永遠に失われたのだ。

プールサイドに遺棄された女子生徒の殺人事件の真相、そして指を失ったはずの永嶺の演奏会の真実とは何か。
里橋のダヴィッド同盟ノートをめぐる手記で事件は急転直下の解決をみた、ように思われたのだが。
里橋の妹が、さいごに意外な事実にたどり着く。


これはミステリの流儀で書かれたシューマンの評伝である。
この小説の7割はシューマンの紹介とその楽曲のすぐれた解説で埋め尽くされている。
永嶺の音楽論「音楽はすでにそこにある」も秀逸である。
このシューマンの二重性、つまり常識的な家庭人でありつつも天才的な音楽家であり、ついに狂気に陥ってライン川に投身自殺するも失敗、最後は精神病院で一人死ぬのだが、その二重性に隠された狂気がこの作品の通奏低音になっている。
つまり、この作品自体は「シューマンのように」書かれている、という仕組みになっているのだ。
おそるべし。
作者は、小説一本の内容のみならず、その構造までもすべてシューマンに捧げてしまった。
その意図はみごとに成功していると思う。
間違いなく名作だ。
評価は☆☆☆。

クラシック音楽、わけてもシューマンに詳しくないと本作を十全に楽しめない、という批判はあると思う。
しかし、それでも、小説はすでにある。
私はシューマンにはさほど詳しいわけではないが、作者のシューマン愛だけは猛烈に伝わったし、今まであまり聞かなかった(この小説の表現に従えば3Bばかり聞いている俗物だ)シューマンだけど、これから聞いてみたいと思った。
さっそくCDを注文したから、作者の試みは成功していると言える(笑)。

ミステリとクラシック音楽の組み合わせは「神宿る手」宇神幸男が嚆矢にして名作だと思うが、あるいは本作はこれを超えたのではないか。
芥川賞作家だから持ち上げるわけではないが、筆力の高さはおそるべき。
音楽評論自体のレベルがすごい。

ミステリが好きでクラシック音楽が好き(人口比率的にはレアであろうが)ならば必読である。
よまずに死んだらもったいない。