鎌倉時代を語るとき、避けて通れないのが北条政子である。日本の女性の統治者というと、古くは神功皇后、孝謙天皇、そして北条政子ということになろうかと思う。その北条政子だが、「北条氏に権力を握らせるため、実の息子の頼家を殺した」というイメージがあって「猛女、悪女」というイメージが有る。
本書は、かなり古い作品なのだが、その政子の「悪女」イメージを払拭しようと試みたと言える。本書の中の政子は、もちろん頼朝に対しては嫉妬深い人物ではあるけど、現代の基準で考えれば、夫が外で女を作ってきてニコニコしている妻のほうがヘンである。そういうところから、心性として現代の女性とさほど変わらず、嫉妬もするし子どもは可愛がるという、ごく普通の女性という描き方である。
ここで作者が注目したのが「乳母」の存在であって、当時は高貴な家の子供は母親ではなく乳母が育てるのが常識であった。頼家の乳母が比企能員の娘であり、頼家が将軍になると比企一族が権力をふるいだすことになる。そうすると、今までの重臣たちは皆、既得権益を失って反感を抱くことになるのだ。頼家の息子の公暁の乳母が三浦義村、実朝の乳母が北条政子の妹である。誰を跡継ぎにするかという問題は、乳母の家の誰が権力を握るかという問題とイコールであった。本書が刊行された当時、日本の歴史学会でも「乳母」の存在は重視されておらず、永井路子は鋭い指摘をしたことになる。そして、この節はその後、多くの証拠から支持を得て、今では常識になった。
評価は☆☆。歴史的名著、といえるかと。
今読んでも、古臭いところはなく、むしろ自然に楽しめる。
ところで、この「乳母」制度であるが、もっとも古い家にはつい最近まで生きていた。いわずもがなの天皇家である。美智子上皇后さまが、子供を「自分で育てる」とおっしゃったとき、側近の旧華族たちから大いに反対があった。ちなみに、昭和天皇は乳母がついて育てられている。未来の天皇を、平民の手で育てるとは何事かというわけである。しかし、美智子さまは信念を貫かれた。これは、旧華族会を中心とした人たちの強烈な「美智子バッシング」の一因になった。同じバッシングは、現在は悠仁さまに向いている。その連中は、並行して再び「美智子さまバッシング」もやっているようなので、震源地は同じだという白状をしているのと同じである。
そう、人のすることは、鎌倉時代からさして変わりが無い、ということなのだ。やれやれ、と思うのですなあ。