Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

知恵のある 和の家 和の食 和の暮らし

「知恵のある・和の家・和の食・和の暮らし」魚柄仁之助

魚柄という人は、非常に面白い本を書く。以前に「ひとりひとつき9000円」を読み、その節約ではなくて、発想の豊かさに感激した覚えがある。
おまけに、彼のレシピ通りに作ってみた料理が美味かった。こんな美味くて安いもんを食っている人間は、信用に値する、と思ったのである。

さて。東京において、もっとも問題になるのは、いうまでもないが「住」である。
「日本人はウサギ小屋に住んでいる」と図体のでかいアメリカ人に言われて「じゃかましい、そっちのガタイがでかすぎるんじゃ」と思った日本人は多いと思うが(笑)正直なところ、東京の住宅事情はそう言われても仕方がない。
これは、都会に人口が密集して住むアジアには共通の現象のように思う。台湾も、香港も、上海も、福州も、ソウルも、とにかく都会の住宅事情は悪いわなあ。
ところが、米国在住の友人に聞くと、NYだろうがLOSだろうが、やっぱり都会はそんなもん、という話。なるほどね。

東京の場合は、なにしろ人口1000万人であるから、これは群を抜いている。他国の年は、都心部はともかく、ちょっと郊外にいけば、かなりゆったりしている。
ところが、東京の人口は大きすぎて、ちょっとやそっと引っ込んだところで、やっぱり事情が変わらないのである。巨大都市である。

ところが、魚柄氏ときたら、こんな東京の住宅事情をさっさとリストラしてしまい、魚柄流に料理してしまうのだ。そのレシピは「再建築不可物件をリフォームして住む」だった。
こうして、都会の真ん中に、炉があり炭がついている住宅が誕生してしまうのである。

氏は言う。
たくさんモノを買い、家の中はモノだらけ、あふれるモノのために家を増築し、そのためにローンを払う。それでは、人生はすり減ってしまうぞ。
モノを買えば、モノに縛られる。生活を買っているようなことになる。生活は、買うものではなくて、作っていくものだ」と。

物質文明にすっかり毒された私の部屋の中に、モノはあふれている。書籍、楽器、レコード、オーディオ機器、自転車と部品、PCパーツ、使わない食器、着なくなった服など。
そうして、こういうものを抱え込むために、また家賃を払うのだ。
その家賃が馬鹿馬鹿しいというので、多くの人は住宅ローンを抱える。住宅ローンとは、手元にお金がないけれど、将来の収入をアテにして借金をすることである。つまり、投資である。
住宅ローンを組む人が、株式投資をする人を馬鹿にできないのは、実は住宅ローンのほうが遙かに高リスクを抱えている場合が多いからである。
そうやって、私たちは、モノに追われて東京の中で稼いで、そうして人生をすり減らす。

もちろん、仕事は必要だろう。けど、そんなに頑張らなくても、そのちょっと下で、工夫して暮らせるようにすれば、遙かに人生は豊かじゃないか。人生は有限ですぞ。
モノのためにすり減らしちゃもったいない、そう著者は訴える。
それは、ペン先でひねり出した理屈じゃなくて、著者自身が実践していることである。
魚柄氏がすごいのは、エッセイがすごいのではなくて、本人がすごくて、エッセイは本人の自己紹介に過ぎないことだ。
こういう例はなかなか希有である。

評価は☆☆。私は、ずいぶん考えさせられたなあ。

私の父親は、大工の棟梁である。こんな発想は、ホントは私だってあってよいはずのものだが。学校を出て、そのまま東京の大学に飛び出てサラリーマンになってしまった私に、そんな知恵はないのである。
かくして、父の知恵と私の学校知識は断絶してしまう。
そう考えると、なんだか今の生き方は父やご先祖様に申し訳ない気がする。
ホントにすまん、と思うのである。