Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

命の値段が高すぎる!

「命の値段が高すぎる!」永田宏。副題は「医療の貧困」。

妊婦たらい回し事件や各地の病院閉鎖、医師不足など「医療崩壊」がニュースになる昨今であるが、その元凶は「小泉医療改革」であると指摘されることが多い。
しかしながら、そもそも小泉医療改革が何故必要だったのか?まあ、イッチャッテる回答は「アメリカの年次改革要望書に書いてあるから」という奴である。
昔、生物の授業で、生命の発生について「宇宙飛来説」があって、原始生命は地球外から飛来したのだ、という。当時、中学生だった私は大いに感心したのだが、生物の教師いわく「これは学説としては少数派」だという。
理由は簡単で「それじゃあ、その宇宙から飛来した生命は、いかにして発生したのか?」という話に戻ってしまうからである。つまり、宇宙飛来説は、説明したように見えて、実はなんの説明にもなっていないというわけだ。
私は、とかく「アメリカの年次改革要望書」を大まじめに取り上げる人たちを見ると、つい「宇宙飛来説」を思い出してしまうのだなあ(苦笑)

閑話休題
小泉医療改革の動機は2つあり、一つは「超高齢化社会少子高齢化)」であり、もう一つが「国および地方自治体の借金」であったことを、本書はあますところなく描いている。
冒頭、麻生総理の「たらたら、飲んで、食べて、その人の分の治療費をなんで払わなきゃならんのか」という発言がひかれる。この発言は「宰相のくせに、相互扶助の保険制度に対する理解がない」という文句で批判されるのが常である。
しかし、著者は、この発言の意味するところは重大であると指摘する。相互扶助の精神の欠如はそれとして、少なくとも健康管理に気を遣った人に対して何の特典もない現状の健康保険制度という欠陥をついているからである。
さらに、高齢者医療費が天井知らずで拡大している現在、健康保険制度が機能するものだろうか?という指摘をしている。厚労省には逆鱗にふれる話なのだが。

保険制度は「予測可能なリスク」が存在する場合に、そのリスクを皆で広く負担して、これに備えることを主眼にする。一人一人がリスクに備えるのは不経済である。いわば保険は「マイナスの宝くじ」であって、不幸に当たってしまった人を救済するものである。
しかし、人間が高齢化すると病気になる、これはほぼ確定的ではないのだろうか?つまり「確率が限りなく100パーセント近い」ものだったら、そもそも保険が成立するわけがない。その場合は「保険」ではなく「医療扶助」が必要なのである。税の投入対象であって、保険制度で維持できるわけがないのだ。(実際、英国は医療扶助制度となっており、保険ではない)
さらに医療の進化は、延命治療を生み出し、ますます医療費を高騰させることになる。寿命が延びて、高齢者が増えて、しかも一人一人にかかる医療費も年々高騰していく。この状況で「予測されたリスク」を計算することは不可能である。
事実、小泉医療改革以前に、国保における掛金の格差は5倍を超えた。高齢者が多い自治体では、収入がないので国保の掛金を高くするよりほかない。足りない部分は税金を投入するのだが、それでも格差5倍というのは、実質破綻していたのである。
このままでは、保険制度そのものが破綻するので、小泉総理は「外科手術」を行った。それは「三方一両損」という名文句(迷文句)で知られる改革である。
つまり、医療費削減、患者自己負担の引き上げ、そして健保組合からの支出金の増大であった。
悪名高い「後期高齢者医療制度」であるが、あまり指摘されていないこととして、実は「前期高齢者医療制度」があり、こちらの方が重要な改革だった。
健保組合は、それまでは組合員の退職者の面倒だけを見ていれば良かったのであるが、一方で国保は増大する老人医療費で実質破綻していた。
そこで、前期高齢者に関しては、国保と健保で同じ負担をすることとし、健保組合から国保へ強引に資金を流し込んだのである。
その上で、さらに医療費のかかる後期高齢者に関しては、あっちこっちから財源を引っ張るとともに、本人負担を行い、なんとか形をつけたのであった。
この結果、健保組合の中には、協会けんぽ(政府管掌保険)よりも掛金が増えるところが続出し、大手企業においても健保組合の解散があちこちで起きる事態となった。
また、診療報酬の引き下げは、それまで採算性の悪かった救急医療や産科、小児科に壊滅的な打撃を与えてしまった。
しかし、本書は、冷静に指摘する。「いわば、老人医療のために、これらの科目は犠牲になった」医者が突然、地上から煙のように消えるわけがない。彼らは、もっとワリの良い職場に移動したのである。
タチの悪いテレビでは、これら医療崩壊の報道のバックに老人が押しかけている病院の風景を映す。医者が足りない、と言いたいのだろうが、つい最近まで皆、厚生省に「医者が多すぎる」「カネをかけすぎ」と文句をつけていたのだ。今や増やせの大合唱なのはご存じの通り。

後期高齢者医療制度は、当たり前だが評判が悪くて、不勉強な与党政治家が「こんなひどい制度だとは知らなかった」と述べたほどであった。
しかしながら、制度が移行して、1年で老人医療費は1兆円弱の増大をしており、しかも、この傾向は今後も続く。今、旧制度に戻したら、国保組合は即死である。自治体はやむなく税金を投入するが、そうなれば、今度は自治体が破綻しかねない。夕張は他人事ではない。いったいどうして「旧制度に戻す」のだろうか。

評価は☆☆☆。
まさに、医療の問題の根幹に「カネ」が横たわっていることを、深く認識させられる。傑作である。むしろ、今これから国政選挙という時期に必読なんじゃなかろうか。

かつて、私は堤実果「アメリカの貧困」を読み、その医療崩壊ぶりはよく伝わってくるけれども、そうなった理由がまったく分からないと批判したことがある。
本書に、その回答の一端が示されている。
アメリカは、保険組合が強く、そこに「市場原理主義」が導入されている。同じ病気なら、安く直す病院が良いという単純な理由で、病院を指定するのだ。
ところが、それでも医療費は高騰したままだ。実は、GMの破綻でも明らかなように、大企業の労組はたいへん強く、労使協定によって企業側がほとんどの保険料を負担している。この場合、患者本人は、医療費には関心が薄い。これは当然である。
ひとたび失業すれば、当然に医療保険も同時に失ってしまう。収入源を失ったら、いきなり高額な医療費を払わなくてはならないのだ。話があべこべである。そうでなくても、弱い個人事業主や中小企業の保険は弱い。
これでは、いくら市場原理を働かせようとしても、なかなかうまく行かない。

そもそも、医療は、単純な算術ではいかない部分が多い。そういうことでは割り切れないのだ。
しかしながら、カネがなければ、心の医療だってやりようがなくなる。
本書にだって回答はないのである。諸外国にも回答はない、いくら北欧が高福祉だといっても、彼らの国とは人口ピラミッドが違いすぎるのである。
日本人が得意な「外国にモデルを求める」のは無理なので、日本人自身がこの問題を解決していかなければならないのだ。
これから一人っ子政策の影響で、猛烈な高齢化が始まる支那を筆頭として、アジア諸国は日本をモデルケースにしようと深く観察している。

本当の問題は、むしろこれから始まるのである。