Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

枯草熱

「枯草熱」スタニスワフ・レム
ちなみに、枯草熱とは花粉症のことである。

大学のときにサンリオSF文庫で読んで、なんとなく心に残っている作品である。
思うところあって、今回、ふたたび引っ張り出して読んだ。

主人公は元宇宙飛行士である。
地球にもどって、ひょんなきっかけで、連続殺人事件?を捜査することになり、イタリアに飛ぶ。
その事件だが、まだ殺人事件とは確定していない。
ただ、イタリアに来た複数の中年男が、どういうわけか鬱状態になり、最後は半狂乱になって死んでしまう。
死の原因は自殺だったり、心臓発作だったり様々で、それぞれは取り立てて言うべきこともない事件である。
だが、どうも共通点がある。中年男、ナポリ旅行、半狂乱。
しかし、殺人だとしても、動機も判然としない。つまり
「この一連の怪死事件は、そもそも事件なのか?それとも、ただの偶然の一致なのか?」
ということも含めて、調査する必要が出たわけである。
主人公は、これを検証するために、被害者と全く同じ行動を行うことになった。
つまり、ナポリへ旅行し、夜は酒を飲み、ホテルで過ごし、買い物に出かける。
しかし、何事も起こらない。
科学者に意見を伺うが、彼らはてんでに「専門家」としての見解を述べる。
つまり
「あれかもしれない、こういう可能性もある」
と解説をし、可能性を並べることはするものの、何も解決はしてくれない。
そのうちに、なんと、主人公自身が精神に異常を来し、半狂乱となり、あわや自殺を企てる。
危ういところを助かった主人公は、助けられた科学者が、真相を解明するのを聞くことができた。
それは、複数の要因が積み重なった事件であった。
花粉症の薬を飲み、有る禿頭ローションを使用し、そのローションが欧州製で、その上でひなたぼっこをして、、、と条件が重なる。
だから、犠牲者は、花粉症患者の中年男(女性は中年で禿頭にならない)で、ナポリ旅行にきていた人(現地で問題の禿頭ローションを使用して、日光浴をする)に限られるわけであった。
博士は、このように説明する。
「テーブルの上に、画鋲を3つ並べる。その3つの画鋲の上に、正確に水滴を落とすことはできるだろうか」
「できません」
「しかし、雨が降ってきたらどうだろう?必ず、3つの画鋲の上に、正確に水滴が当たるのじゃないかね」
可能性が少ない事象が積み重なると、それは到底「不可能」のように見える。
しかし、大数の法則があって、どんなに少ない事象でも、有る程度の頻度になれば、必ずそれは起こるのだ。
その一つの事象をみれば「天文学的確率で起こらない」ことが、起きたようにみえる。
それは、それぞれの「確率を考える」人間の思考の枠そのものが、つくってしまった「天文学的確率」であって、現実には容易に起こる場合もある。

評価は☆☆。
小説として読んで、非常に感銘を受けるという話ではない。しかし、示唆に富んでいる。

福島第一原発事故は、収束しないどころか、事態はじりじりと悪化しているようだ。
いや、本当はもっと最悪の事態があって、その全てを政府と東電が発表してないだけかもしれないのだけれども。

ここに至った経緯についても、全電源が喪失したこととか、非常用復水器を手動で止めてしまったらしいこととか、耐震対策や津波対策の不十分さなどが指摘されている。
事故調査は、詳しく行われる必要がある。
ただ、そもそも、原発の事故の確率を計算するのは、個々の事象の確率の計算なのである。

原発設計は「止める」「冷やす」「閉じこめる」からなっている。
緊急時は、緊急炉心停止装置が働いて核分裂を止める。冷却装置が働いて冷やす。さらに、核物質が飛散しないようにとじこめる。
その上で、確率を計算する。止まらない確率は数パーセントもない、その上、炉心が冷却できない可能性はわずか、さらに圧力容器と格納容器がともに破損する確率はいくら。
すべての条件を重ね合わせると、実際に事故の起こる確率は、地球に隕石が衝突するよりも小さいから「絶対安全」である。隕石が衝突した時は、安全を云々する人類はいないので、問題ないからですなあ(笑)

しかし、この設計技法は全くダメだった。実際は、それぞれがどんなに小さくても、雨が降ったら(津波が来たら)必ず起こるのだった。

全電源が失われると、非常用復水器が動作する。しかし、非常用復水器が動作すると、炉内の圧力は急降下するので、炉を傷める危険がある。
原発内の作業員(ほとんど下請け)は、外の状況については、テレビで見るしかないが、テレビは見えない(津波で電源ないから)
今までとは桁違いの津波とわからなければ、復水器を切る。(過去、なんどもそうしてきたように)いや、そもそも津波は防波堤を越えないはずだった。
そして、非常用復水器は、こういう問題があるから、2号機3号機、4号機にもついてないのだろう。
1号機はGE製だから、東電もよくわからなかったのかもしれない。
あるいは、そもそも、地震で主配管がいかれたのかもしれない。(作業員の証言らしきものがあるようです)そうなれば、ポンプが生きてても、水はじゃじゃ漏れでアウト。
とけた炉心が、高温で制御棒貫通口へ落ちるから、ここからあっさりと高温で溶かして格納容器内へ落ちて、格納容器内の水を蒸発させて水蒸気爆発を起こして容器損傷、よってプルト君やらストロンチウム坊やまで飛散。
それぞれの確率を云々しても、、、ダメでしょ、これは。

ちなみに、停止させた浜岡原発であるが、なんと復水器から海水がリークしていたという。400トン。こりゃ「リーク」の規模じゃない。
復水器は、「閉じこめる」だから、漏っちゃいけないのだが、、、おいおい、である。

事故が起きてから、個々の事象を取り出して、その確率を計算する。それは確定できるけど、しかし、その有限解析手法では、設計思想的に難しいのではないかと思うのだ。

考えてみれば、こんな苦労をして、最終処分すら決まらなくて、それで大騒ぎで発電しているのは「蒸気タービン」。
はい、産業革命でおなじみの「スチーム」であります。
つまり、現代科学の粋である原発は、つまるところ蒸気の熱源が欲しくてやっているだけなのである。「原子力やかん」だと言われるゆえんである。

太陽光発電がすべて解決すると思わないし、まして風力なんて風任せではねえ、、、と思うのであるけれども。
しかし、たかが熱源確保に、この巨大リスクはなんとかならないのか、と思うのですなあ。
その意味では、経済性の疑問以上に、技術の方向としてどうなんだろう、という「思考の枠」が気になるのですなあ。