Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

死にたい老人

「死にたい老人」木谷恭介。

ミステリ作家の木谷恭介が、自らの老いを実感して、断食による安楽死をこころみる。
結果は、、、タイトルどおり。「死んだ老人」ではないのである(苦笑)。
人間、思うようにいかないものでありますなあ。

著者は、断食安楽死にあたって、例の芸能人O被告による「保護責任者遺棄」の罪を周囲の人にかけないことを考える。
もしも断食死をしようとしている(つまりは餓死ですね)人をみかけて、保護しなかったら、その人も罪に問われるのである。
法学部の授業で「川の上から流されている人をみかけて、何もしなかったら」という問題が古典的にあるのだが、実は「何もしなかった」ら、それは罪なのである。
普通は大声で助けを呼ぶ、警察に知らせる、捕まるものを投げる、ロープを投げる、飛び込む(!)などするわけである。

周囲の人に気づかれずに断食死するために、著者は引っ越しまでするのだ。本気である。

ところが、そこからが面白い。
つまり、本人は「断食による安楽死」はしたいのだが、しかし「死にたい」のではない、のである。
よって、胃が痛めば胃薬を飲まねばならないわけだし、痛風の薬やら血圧の薬も飲まねばならない。
薬が続かなくなって、医者に行くと、たちまちケースワーカーを呼ばれてしまうわけだ。
これでは、断食死はできないわけである。

二度にわたる断食死の失敗のあと、著者はみずからの生に対する欲望に気が付く。
息子氏にそういうと「なにをいまさら。勝手にしろ」とののしられる。道理である。

評価は☆。まあ、こんなものでしょうねえ。

ちなみに、著者が断食死を企てたのは、長年連れ添った奥さんと別居し、別の女性と一緒に暮らしていたが、とうとう性機能もなくなり、女性にも去られて欲望がなくなったからだという。
戦後の高度経済成長からバブル崩壊、その後のデフレ日本までみて、もう十分だと思ったのだという。
それでも死ねないのである。

以前に書いたことがあるが、私の曾祖母は食を絶って死んだ。
祖父、祖母も一緒に暮らしていた。89歳であった。
「90まで生きる気はない。もう役に立たなくなった」と言ったそうである。
それまで、農家で藁仕事をして、たくさんの草履や籠を編んだ。それらを、村人に気前よく分けていた。
それも、できなくなった。
役に立たなくなったので、とはそういうことであった。

山陰の片田舎の寒村で、そういうことは、昔からあることであった。
誰も騒がなかったし、誰もなにも言わなかった。それが、やりかたなのである。

死にたいといって死ねなかった著者のことを、著者一人の問題とは思わない。
著者が住んでいたのは、地方都市とはいえ、都会である。
都会では、なかなか難しいのであろうと思う。

つい最近も、親子三人が断食死しているのが見つかった。
水しか飲んでいなかったようであった。
稼ぎ手だった息子が病気になり、民生委員にも相談しなかったようだ。

死にたい老人と、死んでしまった親子。都会と田舎。
いろいろなことを考えてしまう。

生きるのは、つまるところ、食べて、眠って、排せつすることである。
女性に去られて死ぬきっかけにするのは、少々、贅沢だったのかもしれませんねえ。