Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

臨終の七不思議

「臨終の七不思議」志賀貢。

東京でのコロナの勢いは収まらず。
私だって、いつ感染するか分からない。
「年寄りだけが死ぬ」といった噂が飛び交ったが、実際には結構若い人も亡くなっている。単に、持病があったり体力が弱っていると駄目なのだろうと思う。
決して他人事だと思わないほうが良い。

で、もし私がコロナに感染したら、どうなるか?
病院に入れれば良いが、医療の状況もアップアップなので分からない。自宅待機の挙句に容態が急変してコロリ、となる可能性も大いにある。
なにやら、急に死が身近に思えてしまい、手にとったのが本書である。

著者はお医者さんであり、実際に見送った患者さんは五千人をくだらないのではないか、という。
その著者から見ても、人間の死は不思議なものらしい。
死の前に、突然、悪かった体調が一時的に盛り返すことはよくあるのだという。「まさに、ろうそくの燃え尽きる前の炎」と言っている。
また、昔の友人や家族に急に会いたがる、「お迎えがきた」と言い出す、なども珍しくないらしい。
どういうわけか、カラスが寄ってきて鳴き出す、というのもあるという。不思議なことである。

まったく実用的なアドバイスとしては、「死ぬ前には20万円を貯めておけ」というのもある。
最低限の火葬をして仏様になるのに、それだけのカネが必要だからである。
著者の病院にも、生活保護で身寄りがないとか、親族が引き取りを拒否するとかいう患者は多いらしい。
そうすると、自治体が火葬することになるのだが、ここで遺体の押し付け合いが始まるのだという。
患者の住民票がある自治体は「本人は納税もしておらず、住民として暮らしていた実態もない。病院のある自治体で引き取るべき」と言い出す。
病院のある自治体はそれではたまらないので「いや、当然、本人の住民票のある自治体で引き取るべき」と言い出す。
その間、ご遺体は葬儀業者の冷蔵庫の中でずっと保存されたままだそうである。
その状態が半年以上つづき、業を煮やした葬儀業者が自費で火葬した。
こんなことにならないためには、20万のカネが必要だというわけである。まさに「三途の川もカネ次第」である。


評価は☆。
どうも、巷間よく言われる話は、幽霊話も含めて(枕元に立つ、とか)珍しくないことらしい。
自分が往く場合には、決して他人様の枕元に立つなどという人騒がせなことをせずに、静かに眠りたいものである。


考えてみれば、人間はオンギャーと生まれた時から、死ぬことが決まっている。
いつか、という時期だけが決まっていないわけである。
だから、死ぬことなどというのは大したことではない、と言いたいわけではない。
その「いつ」が大問題だ、ということであろう。
言い換えれば、生きている時間が貴重だから「いつ」が大事になるわけだ。

このコロナで、病気だけでなく、経済的に困窮し、先行きが見えず、もう死にたくなる人も多数出てくるのではないか、と思う。
そういうときの絶望感は筆舌に尽くしがたく、刻一刻と減る預金残高に身も心も切り刻まれてしまうに違いない。
いっそ死にたい、そう思っておかしくない。
だが、急がなくてもいつか、必ず死ぬのである。そのお迎えがくるときまで、この世の見物をゆっくりするべきであろうと思う。
自分が主体的に生きようとすれば、苦しまなければならない。
どうしても苦しいなら、いっそ傍観者でも良いではないか。西欧文明では、とにかく主体的なのを善とする。「人生を生き切れ」などと言う。
大きなお世話である。
苦しいなら逃げてしかるべし。三十六計と昔から申す。情勢が芳しからざるときは、遠慮なく、尻に帆かけて逃げ出すべし。
そうして、この世の有り様をとくと見物する。そういう生き方も、あってよかろう。

いくら逃げても、最後はお迎えが来るのである。それまで「逃走劇」を繰り広げるのも、また一興ではないか、と思うのですね。