Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

国をあやまりたもうことなかれ

「国をあやまりたもうことなかれ」近藤道生

しばらく前に話題になった本であるが、未読であった。
古本になったところで購入。

著者は大東亜戦争当時、新任の海軍主計中尉であった。
主計とは、いわゆる補給関係の帳簿係である。
このキャリアを生かして、著者は戦後は、税務署にすすむことになる。

あの戦争については、色々な要素があって一言で言うのは難しい。
特定亜細亜諸国のように「侵略戦争」だというのは簡単であるが、少なくとも朝鮮は侵略していない。
これは、東京裁判においての戦争犯罪とされたものが満州事変以後であるから、明らかである。
それ以前の日清、日露および第一次大戦の日本の行動については、訴追対象にすらならなかった。
もっとも、満州事変から「共同謀議」があった、というために「田中上奏文」を持ち出したもの、これはガセネタであり、立証失敗。
よって「平和に対する罪」の構成要件が弱まる一因となって、のちに裁判自体が失敗と言われる原因となる。
まあ、それはさておき。

本書を読んでいて顕著なのは、東条英機に対する批判である。
著者ははっきりと「東条内閣が成立したとき、すでに世論は開戦やむなしに流れており」東条ひとりに開戦の責任を負わせるのは酷である、と述べている。
特に、天皇側近の木戸内大臣がひどかった、と。
しかし、木戸を追求すれば、その余波が天皇に及ぶ。陛下を守るため、一身に罪を背負って死んでいったのが東条であり、それは評価に値する、と率直に述べている。

著者が登場を批判するのは、「戦陣訓」ならびに政敵に対する狭量かつ過酷な対応である。
「戦陣訓」は有名な「生きて虜囚の辱めを受けず」というやつで、捕虜になるくらいなら死ね、ということであった。
軍隊が敗勢にあるとき、最後の手段として降伏し捕虜になるのは国際法上で認められている。
この戦陣訓自体が国際法無視であるのみならず、深刻なマイナスをもたらした。
つまり、捕虜となった敵に対する侮蔑であり、数々の国際法違反の捕虜虐待が発生していた、という。
明治の開戦の詔勅においては、きちんと「国際法遵守」がうたってあり、昭和天皇も同じ文言を求めた。
これを頑として認めなかったのが東条英機なのである。
あまつさえ、自らの政敵を死においやり、あるいは結構な年齢なのに召集して最前線に送る。戦死させるためである。
東条が天皇の寵臣であったことは否定しないが、しかし、その人物の狭量は国家指導者として軽侮に値する、という指摘だ。
これは、もっともな指摘であるように思われる。

靖国参拝に関しては、参拝賛成の意見で、そうでなければ戦友に会いに行ける場所がない、という。
ただし、東条らのについては、本人も恐懼しているのではないか、という。戦争指導に失敗したからである。
その意味で、近隣諸国からの批判ではなく、我が国独自の判断で、東条は分祀すべし、という。(靖国は教義上分祀できない、としている)
逆に、近隣諸国からの圧力によって参拝中止となれば、その憂いは深し、との指摘もある。

評価は☆。
なかなか面白かった。
言うまでもないが、あれだけ大規模な戦争で、一士官の見た戦争はまさに極小の範囲である。
それをもって、あの戦争を全部語ることはできない。
ただ、当時の人の物の見方を伝えるのに、貴重な証言であろう、と思う。

昨今、安倍首相が靖国参拝を行って米国から「失望」されたことで、批判的な声がある。
しかしながら、そもそも米国にいつも褒められるだけを目的とした国家など、独立国ではあるまい。
100%言うことをきけないこともある、という程度でちょうどいいのである。
それで尖閣防衛に悪影響が、という話もあるが、杞憂であろう。
地政学的な理由である。
一度、世界地図をさかさまにして(南北を逆にして)見てほしい。
そして、顎を北京に載せて、太平洋を眺めてもらいたい。
日本列島から沖縄、台湾とつなぐ列島線が、ぐるりと北京を取り囲む様子が見えるであろう。
これが地政学である。
尖閣を開けるとき、米国は中共の「フタ」を開けて、習金平がいうように「太平洋を分け」ねばならない。
そのような重大な決意を、今の米政権ではできないのである。