Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

従属国家論

「従属国家論」佐伯啓思

戦後の日本の論壇の主流が「戦後民主主義」であり、その実態が自己検閲による「閉ざされた言語空間」であることを指摘したのは江藤淳です。
本書は、江藤の思想を新書向きにリライトしたもので、WGPに詳しい人には新味がないだろうと思う次第。

戦後日本の平和は、はっきり言えば日米安保によって維持されてきました。
これを「平和憲法のおかげ」だというのは、あの元寇についての寺社、貴族の言い分を思い出します。
いわく「怨敵退散の加持祈祷のおかげ」だと言うんですね(苦笑)。
で、てなこと言われて其の気になった後醍醐天皇によって鎌倉幕府は倒れた。
実際は、鎌倉武士の奮戦であることは明らかなんですが。(近年、神風説は結構揺らいでいるらしい)

日本は「言霊」の国なので、怨敵退散と唱えれば敵が去ります。
南無阿弥陀佛を唱えれば、極楽浄土に行けます。
もちろん、平和平和と唱えれば、平和になるわけです。
一方で、有事の話とか九条改正の話などは「議論するのもいけない」。そんなことをすると戦争になってしまうから、ですね。
こう考えると、怨霊を怖れて暮らしていた中世の人々をまったく笑えない気がするなあ。

まあ、このへんの話は宣告ご承知の方もいようから、このへんで。

閑話休題
本書に、こんなパラグラフがあります。
「「先に、この憲法前文の冒頭を引用しました。その構造は、一種の入れ子構造になっているのです。「『われわれは、国民主権を宣言して、この憲法を制定する』と憲法に書かれている」のです。つまり、「われわれが、憲法を制定する」ということを、憲法の内容として書き込む、本当の憲法の制定者がもう一段上位にいる、ということ…これはどうしても近代憲法に付随した矛盾の構造で、、、」
この節は、つまりは「革命」によって正当性を主張した欧米と日本の違いにつながり、そのあと、被占領状態で主権がないのに新憲法が発布されたのはおかしい、という話につづく。
これ、かなり惜しいと思います。
つまりですね。
この話を敷衍すると「憲法の施行について、主権は必要ない」という法学上で有力な説に直結するからです。
たとえば、明治憲法天皇主権を宣言したとき、主権はどこにあったか?
主権がないと憲法を発布できないのであれば、主権は明治天皇が持っていたことになります。それはどこに書いてあるかというと、憲法を発布する前なので、そんなものはありません。
じゃあ、仮に明治維新が成功しないで、江戸幕府が続いたとき、明治天皇憲法を発布したらどうなるか?もちろん無効である。
すると、なんのことはない「勝てば官軍」を単に「主権」と言い換えているだけじゃないか、となります。
政府が成立して安定した後で「あの時主権がありました」というわけです。
これじゃ学問としてはとても恥ずかしいので(いくら法学の本質が御用だといっても)「憲法制定力」という概念が主権と別に導入されました。
憲法制定力(早い話が支配である)という力があって、その力が憲法に主権を書き込むと、近代的な主権が成立する、という仕組みです。
日本の場合は、憲法制定力をGHQが持っていて、新憲法を施行して、国民主権となった、ということになります。何も矛盾はありません。
もちろん、憲法制定力があって主権もあって、両方持っていてもいいんですが、憲法制定力だけでも構わんわけです。
そうしないと、そもそも米国のおかげで独立した○国の憲法なんて、困ったことになるではないですか(苦笑)
自力で独立できない連中に主権なんてあるわけがないでしょ(爆)

ついでにいいますと。
あなたがお金の入った財布を拾って、裁判で訴えるわけです。「この財布は私のものじゃありません」
裁判所は聞きます。「じゃあ、誰のものですか?」
あなたは答える。「たぶん、あの人のものだと思います」
そうすると、裁判所は言います。「じゃあ、あの人から財布を返してくれ、と裁判を起こしてくださいね。さよなら」
門前払いです。
ええ、もちろん財布を拾ったのが日本国民、財布の名前は「主権」といいます。
あの人は、、、おわかりですね(笑)
「あの人」が返してくれ、と言わないかぎり、日本国憲法自体が無効だという主張はそもそも「始まらない」です、ハイ。
「これは私のものじゃない」という訴えは一般的にありません。法的利益がないですからね。


まあ、そんなこんなで。
評価は☆。
本書の主張自体は是々非々だと思います。
少なくとも、私は戦後の日本人が受け入れた価値観、つまり「自由、民主主義、人権、幸福追求」が日本人の伝統とは違うものだと思っていません。
明治期はそういう価値観より富国強兵だったでしょうけど、江戸は?室町は?そんなことないでしょう。
つまり、相応の下地があったから、価値観を受け入れたんです。
大正デモクラシーの時をみると、それは明らかでしょう。
ただ、なんでもかんでも「日本は悪いことをした」という自虐は間違っていると思いますね。
だって、戦前は「植民地を得るのが国際社会で一人前の証拠」だったではないですか。
英米仏独、支那だって日本に譲るまで朝鮮を支配しておりました。
人並みのことをやろうとして「お前だけはだめだ」と言われて、それはつまり「一生貧乏でおとなしくしていろ」と命令するのと同じです。
それじゃいやだ、というだけの話でしょう。
戦争自体は国際法上の合法的な行為で、日本はその戦争をやって負けました。ただ、それだけのことで、道徳的な「善悪」とは話が別なんですよ。
負けは負けですが、負けは「悪」ではありません。
負けることだってあるさ。それだけのことなんですな。