Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

猛き艨艟

「猛き艨艟」原勝洋。副題は「太平洋戦争日本軍艦史」。

旧日本海軍の戦いについては、あまた世間に出版されているのであるが、本書は「戦い」ではなくて「艦船」そのものに焦点をあてている。
とりあげられた艦船は、甲標的、大和、鳥海、大鳳信濃、伊四○○など。
戦史紹介だけでなく、まず艦船の設計上の特長、竣工までの経緯などを詳しく解説している。
海軍オタク向けの本である(苦笑)。

私が本書を読んでいて、もっとも興味をひかれたのが「大和」「武蔵」の戦史になるのだが、あの有名な栗田艦隊「謎の反転」である。
栗田提督は「戦後、何も語らなかった」ことになっているが、私が中学生のころ雑誌「丸」で座談会記事を読んだことがあり、そこで作戦について話しているのを見た記憶がある。
たしか、最初の旗艦「愛宕」が撃沈され、海を泳いで大和に旗艦を移すのだが、そのとき、だるかった体調がしゃんとした、などという話である。
本書を読んだら、やっぱり雑誌の取材記事で、どうようのことを述べてある。

栗田提督は「あれ(反転)は、自分の判断でやった」と述べている。
その理由について「空襲が激しく作戦遂行が無理とみたからですか?」と聞かれると
「どこに逃げても空襲は同じことである」と答えている。
栗田の回想では、一回目の反転は偽装である。
激しい空襲を受けて艦隊勢力が減少した栗田は、いったん退避するように反転する。
しばらく走って「空襲が減った」つまり敗走したと思わせて、そこで再反転して作戦継続する。
このとき、まだレイテ湾突入の意志があった、という意味である。
二度目の反転のときは、北方に現れた米機動部隊を追って、と言っている。
レイテ突入の作戦時間は大幅に超過し、栗田はそのために作戦を遂行しても、もはやレイテの米国輸送船はカラ船だと考えた。
こちらは全滅覚悟で行って、相手が陸揚げを終えたカラ船ばかりでは、死にがいもない。
なので、北方の米空母を襲おうと思い、反転北上したという話である。

貴重な証言である。
評価は☆。

本当に栗田の言う通りなら、驚くべき思いつきの連続と言わねばならない。
作戦時刻に間に合わなければ、当然、栗田の言うとおりにカラ船になる。とすると、一回目の反転の意味が不明である。
被害を受けようがなんだろうが、とにかく陸軍の反抗と併せてレイテ湾に突入せねばならないのである。
反転して敗走を偽装するどころではなかった。
実際は、潜水艦と空襲で猛撃を受け、戦意を喪失したのではないか。
そこから思い直して、再び進軍するが、大幅に作戦時刻からは遅れている。
輸送船相手では犬死、と思ったであろう。それで空母相手に、死に花を飾ろうとした。
実際には、空母などおらず、すごすごと基地に引き換えし、大打撃と燃料の空費だけが残った、というわけである。

本書に指摘するように、栗田自身が避敵傾向が強く、死地にあって逃げ惑ったというのがあの反転の真相ではないか、と思う。
そうは思うが、断言はできない。
実際に、作戦中の指揮官の心理は測りがたいからである。
おそらく、いろいろな想念が頭をよぎっているはずである。
焦りと恐怖、そして義務と理想の前で、とにかくベストな判断をしようという思いだけであろう。
その中で、とんでもないミスをおかす。そういうことは当然あるだろう、と思うのである。

戦前の海軍兵学校は、とても難関であり、貧乏な家庭の優秀な子息が入学した。
帝国大学だと金がかかる。
ところが、海軍兵学校陸軍士官学校なら、学費がいらない。
恵まれない家庭で期待を背負う優秀な子息が、これらの学校に集まった。
つまり、頭脳は極めて明晰であろうが、特別に性質が勇猛だとか、あるいは国家奉仕の精神が高いわけではないのである。
それらの要素は、入学後に、錬成されることになっていた。
栗田のケースに対して正直に思うことは、試験で優秀な成績を収める者が、必ずしも優秀な指揮官になるわけでない、ということである。
その意味では、まったくそういう組織がなかった日清日露の時代のほうが、優秀な指揮官が多かった。
試験がない以上、指揮官は家柄と性質で選ぶよりほかになかったからである。

戦後の官僚制度についても、同じことが言えるのではないか、と思ったりする次第である。