Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

リンゴが教えてくれたこと

「リンゴが教えてくれたこと」木村秋則

木村さんといえば「奇跡のりんごの人」という認識である。
とはいえ、私は読んでいないが。
自然農法にこだわる最近はやりのエコの人、と思っていたので、あまり気が進まなかったのである。
ところが、この本は古本屋で100円だったのと手持無沙汰だったので「まあ、いいか」で読みだしたのだ。
とんでもなかった。
本を読んで感動することは年に何度かあるけど、この感動は超ヘビー級だった。

木村さんは農家の二男坊である。
若いころはやんちゃ。(ある程度の男の人は、若い頃はやんちゃだったとみんなが言いたがるので、割り引いたほうがいい)
で、木村家に養子に行き、そこでリンゴ栽培の家業をつぐ。
ところが、散布する農薬のために、家族みんなが体調不良になる。
「よし、それなら」と思い立って、まずは減農薬栽培。ここまではうまくいった。
ところが、それから無農薬に切り替えたところ、見事に失敗。まったく身がならないのである。
それどころか、秋までに葉がみんな落ちてしまい、花もつけない。
当然、無収入である。
近所にも悪口を言われながら、それから9年!ついに花が咲いた。
11年後に出荷できるようになった。
その間、木村さんは出稼ぎをして、耐え抜いたのである。

無農薬にこだわり、土の温度を測り、害虫を観察する。その繰り返しをする。
よくみると、肉食の益虫の方が顔面は凶悪だ、などという発見までしている(笑)。
ついに行き詰まり、岩木山にロープ一本もって上り、自殺しようとする。
そのとき、野生のドングリの木を発見する。
リンゴにとりつかれていた木村さんは、そのドングリをリンゴだと見誤る。なんで、山の中で果樹が、誰も世話をしないのに実を着けているのか?
そこで木村さんは、足元のフカフカした土に気が付く。「そうだ、この土だ」
それから、自分のリンゴ園で、この土を再現しようとし始める。
そのためには、まず雑草を刈るのをやめた。

リンゴ栽培に成功した後、木村さんはコメの無農薬栽培、野菜の栽培についても語る。
そして、農家の経営についても語っている。
「みんな売上ばかり気にするけど、それじゃダメだ。粗利益だ。江戸時代の武蔵の田んぼが、反収3俵。今は反収8俵から多いところで10俵もとれる」
「だけど、その反収をあげるのは、大量の化学肥料と農薬を使わなけりゃならん。粗利益は半分あるかないか」
「自然農法でも7俵はいく。しかも、肥料代と農薬代はかからん。みんな粗利益になる」
「私は自然農法といわず、自然栽培という。これで生活が立たなければ意味がないんだ」
うすっぺらなエコじゃあない。
都会人のエコなんて、自分らはカネを出すから一切の農薬も公害もよこすな、というエゴではないかと思う。
その農薬や公害を引き受けるのは地方であり、途上国である。

自然とともに「生きる」とは、それで生計が立つことだ、と語る木村さんは、実にまっとうである。

評価は☆☆☆。
書物の文章というよりは、この人の生き方に尊敬を抱かずにおれないのである。
読んでよかった。

木村さんは、無収入時代に、なんの仕事でもしたという。
土木作業員やトラックの運転手などは当たり前。
しまいには、ピンクサロンの店員になった。そこでオッチャンとして親しまれ、毎日トイレ掃除をした。
どんな職業にも貴賤はない、と実感したという。
お金がないから、近所の店のトイレも1か所500円で掃除してまわった。
仕事が丁寧だと評判になり、お客は増えたという。
最後にヤクザとトラブルになり、木村さんが店をやめるとき、マネージャーが「リンゴ頑張ってくれ」と50万円を渡したという。
木村さんのひたむきは、周囲の人の心を打ったのである。

正直、愚直だと思う。
私は、小賢しいので、愚直には生きられぬ。
けれども、愚直を尊敬し、素晴らしいことだと心底思う。
この本を出してくれた木村さんに、深く感謝したい。