Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

原発ホワイトアウト

原発ホワイトアウト」若杉 冽。

現役の官僚が覆面作家となって書いた原子力ムラの内部を描いた小説である。
福島原発事故のあとに出版され、大きな話題となった。

言うまでもないが、事故はいまだに収束していない。
原発再稼働をめぐっては、首長選挙のつど、原発立地では大きな争点になるし、運転停止命令を求めた訴訟もあちこちで繰り返されている。
もっとも、運転停止を命じる判決を出した裁判長は地裁から家裁に送られるという分かりやすい降格処分を食らうので、退官間近の裁判官でないとそういう判決は出しづらいのが事実である。
日本は三権分立の国ということになっているが、実際には裁判官の処遇は行政が圧力をかけるので、こういうことが起こる。
ついでに言うと「判検交流」という諸外国に例のない奇怪な制度があって、検察側の検事が一定期間、裁判長を務めたりする。
判事は検事を努めるわけだ。表向きは、互いの立場を勉強するため、となっているのだが、弁護士と「弁検交流」するような制度はない。
弁護士は自力で食っているので、行政の圧力がかけづらいし、そもそも行政に有利な判決を出させるのが狙いの制度なので(断言)弁護士と交流する意味がないのである。

まあ、そんな原発訴訟の背景も含めて、なんでこんなことになっているかというと、ようするに原子力ムラの生み出すカネがその力の原点なのである。
原子力は安いということになっているが、実際には電源三法で地元に投下されるカネはすべて税金である。
また、消費地に遠いところ立地しなくてはいけないので、系統連携費用(都市部まで電気を送る費用)も他の発電に比べて高いのであるが、これも全部アタマ割なのだ。
さらに、発電の結果生じるプルトニウムは再処理されて再び燃料になることになっているので、バランスシート上は「資産」として計上されている。
しかしながら、高速増殖炉もんじゅ」も失敗し、再処理施設もまともに稼働できない現状で考えれば、どうみても「負債」でしかない。
で、実際にこの使用済み燃料を「資産」から「負債」に付け替えると、、、債務超過、つまり破綻しているんですね(笑)
まあ、こんなムリやりな条件をくっつけて、むりやり動かしているのが原発であるが、それでも批判は福島以前にはなかった。
そりゃそうで、事実上の地域独占で宣伝の必要がない電力会社が投下する膨大な広告費は、マスコミにとっては美味しいのである。
悪口なんか言うわけがないのだ。
その広告費は、皆さんの電気代から出ているわけなんですけどね。

原子力ムラの仕組みというのは、つまりはカネをどう生み出して、政治家や司法やマスコミにあめ玉をしゃぶらせて言うことを聞かせるという点が核心なのである。
本書は、その手口を「小説」として、あますところなく書いた力作である。

評価は☆☆。
よくぞ書いた、というしかない出来映えだと思う。

言うまでもなく、福島第一原発の事故はいまだ収束はしていない。
メルトダウンした燃料の取り出しをこれから検討する、ということになっている。
これも、笑える話である。
だって、その取り出した燃料を、いったいどこに保存するつもりなんですかね(苦笑)
もって行き場はないでしょうにねえ。
首相官邸の下にでも埋める、というのなら凄いですが(爆笑)

事故前には、実は私は「原発は絶対安全で、メルトダウンはない」と思っていた。
いくつかの根拠があるんですが、最大のものは「自己制御性」である。
つまり、原子炉内の温度が上昇して、水蒸気が発生すると水による中性子の減速効果が薄れるので、自然に核分裂が抑止されるのである。
だからメルトダウンは起こらない、というわけだ。
ところが、実際にはご存じのとおりである。
理由はいろいろ考えられるでしょうが、現実はただ一つである。

東○に続いて、○立もヘタをすると原発事業で大ケガをするかもしれない。
日本人以上に、海外のほうが福島を重く見たのは、チェルノブイリとは違う商業炉の安全性をよく理解していたからである。
その前提が崩れたので敏感に反応したわけだ。
崩壊熱の計算を間違えていたようでは、基礎設計そのものが信用できないので、安全係数をやたら高くとるようになった。
これがみんな、コストである。

それでも、国内においては、まだまだ原発はカネのなる木である。
野党議員も含めて、みんなこのカネが必要なのだ。
世界の趨勢とは別に、国内では原発がこれからも作られ続けるだろう。
使用済み燃料などの問題は、財政と同じである。つまり「先送り」という伝統芸で乗り切るのである(笑)
そのとき、どんなセリフが出るのか、今からワクワクしてしまいますなあ。