Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

敵対水域

「敵対水域-ソ連原潜浮上せず」ピーター・ハクソーゼン。

潜水艦で事故が起こればどれほど悲惨な事態になるか、素人でも想像可能である。
本書は、1986年、まさにペレストロイカのさなかにバミューダ沖でミサイル格納庫内で爆発事故を起こしたソ連源泉K-219の乗組員たちの物語だ。
著者は、生存した元乗組員達にインタビューを行い、絶望的な状況の中で文字通り命がけの努力を続ける艦内の状況を活写した。

すでに冷戦末期ともいえる1986年には、ソ連のミサイル原潜は老朽艦を無理矢理稼働させなければならない状況だった。
K-219のその例外でなく、かつて過去に1回、ミサイルサイロの爆発事故を起こして、16基のサイロのうち1基を溶接して永久封印したまま動いているシロモノであった。
過密スケジュールで、整備も完全でないまま、K-219はバミューダ沖へのパトロールに出航する。

バミューダ沖の海域に入り、米潜水艦の追尾を老練な艦長の抜群なテクニックで翻弄した直後に、事故は起きた。
ミサイルサイロが漏水し、ミサイルの液体燃料と反応、爆発事故を起こしたのである。
轟音と共に沈下していく艦内で、一度は絶望的な気分になる。ミサイル士官は事故に巻き込まれて死亡。
乗り込んでいたKGB士官は事故の収束のために現場に向かうが、酸素マスク内の酸素が切れてしまう。
硝酸ガスを吸い込んで死亡しかけた彼に、一緒に乗組員救出に向かっていた艦医は、自分のマスクを差し出す。「お前は死んでならん」
おかげで、KGB士官は助かるが、艦医は身代わりとなり重体におちいる。

艦長は、一か八か、艦内の圧搾空気をすべて使い切ってのブローを命じる。
失敗すれば一巻の終わりだが、成功しても潜水艦は浮上し、軍事的に(あるいは、当時のソ連の状況だと政治的にも)おしまいを意味する。
艦長は、乗組員の生命を第一に考えるしかない、と腹をくくったのである。

さらに、悲劇は加速する。
爆発事故の影響で、原子炉の冷却水が漏れて、暴走の危機に直面したのである。
核爆発にいたれば、乗員はもちろん、救援の艦船も巻き込んで大被害を与える。
そうでなくても、メルトダウンして格納容器から燃料が飛び出し、海水と反応すれば水蒸気爆発を起こして艦は核燃料とともに飛散し、周辺環境に大被害を及ぼす。
どうしても原子炉を止めなければならないのだが、制御棒が爆発事故の熱で変形し、挿入できない。
猛毒ガスの立ち込める船内の中を、若き水兵プレミーニンが決死で向かう。
彼は、すべての原子炉の制御棒を手動で下すことに成功。
しかし、水密区画まで戻ってきたとき、彼のマスクに既に酸素はなかった。
そして、水密区画のハッチは、気圧差のために、まったく開かなかった。
原子炉区画内の気圧と居住区の気圧を同じにすると、原子炉区画内の猛毒ガスが居住区に流れ出てしまう。
すでに、酸素マスクはなかった。
レミーニンは、開かない水密ハッチを叩き続け、やがてそれも途絶えた。
彼は、酸素のなくなったマスクを最後の瞬間に取り去り、毒ガスを思い切り吸い込んで死んだ。

この事態について、アメリカは援助を申し出るが、それはもちろんソ連原潜確保を狙うためだった。
ソ連はこれを拒絶し、救援物資をお役人的な仕事で送り、送られた酸素マスクは海に沈んだ。
おそらく、マスクの空輸を指示されても、マスクに浮き袋をつけることは指示されていなかったのだ。
海軍上層部は、責任をだれに押し付けるかの議論で忙しく、現場の救出は遅れた。
「すべての問題は政治的である」というイデオロギーの末路をここに見ることができる。


評価は☆☆。
貴重なドキュメンタリーであるとともに、乗組員たちの実話が胸を打つ。

本艦を率いていたのが艦長ブリタノフである。
本書が教えてくれるのは、危機に直面したときに、リーダーはいかにあるべきか?ということである。
ブリタノフは、乗組員のために、自分の生命は覚悟した。
最後に一人、艦内に踏みとどまり、自らの手で艦を自沈させる。
そうしなければ、この艦に、ソ連上層部は乗組員を戻すつもりであった。それは政治的な思惑であった。
そうなれば、おそらく全員が犠牲になる。
ブリタノフは、自らが罪をかぶり、乗組員を救った。
無数のヒーローがいたからこそ、多くの乗務員が助かったのである。

現場で苦闘する人間は、偉大で、その努力は讃嘆するべきものである。
しかしながら、そこに下される政治的な判断は、それとは別である。
現場が偉大だから、政治判断が正しいわけでは、まったくない。むしろ、その逆である場合も多いのだ。
本書は、そういうことを教えてくれる。