「東の果て、夜へ」ビル・ビバリー。
この著者のデビュー作にして、英国推理作家協会賞受賞作。
これがデビュー作だとは、とても信じられない作品であって、どうして欧米の作家というのは、かくも筆力があるのかねえ。
舞台はLAから始まる。ダウンタウンの(つまり治安が最悪)ザ・ボクシズ(=箱庭)と呼ばれる麻薬取引の家で主人公イーストは見張り役をこなしている。
彼は弱冠15歳である。叔父が組織のボスで、その伝手でここで働き始めた。
麻薬密売の見張りが真面目な仕事かどうかは抜きにして、彼は真面目に役目を果たしている。
しかし、ある日、見知らぬ(ジャクソンから来たという)女の子に気を取られているスキに、警察に踏み込まれる。
ドジを踏んだ彼は、上役2人と腹違いの弟タイとともに、中古のワゴンに乗って、LAからウィスコンシン州に行き、組織の事件の目撃証言をすることになっている黒人判事を射殺する仕事をすることになる。
その距離、実に3200キロ。日本一周と同じくらいか。
当然、飛行機を使うとアシがつくから、ひたすら地上をワゴンで走るわけである。
途中のラスベガスで、羽目を外したくなった上役の一人とイーストは殴り合いになり、その上役が車を降りることになる。
3人組でウィスコンシン州に行くと、手配した武器商人が拳銃を売ってくれない。
話に聞いていたのが4人組なので、3人には売れないというのだ。
しかし、最終的には3人は銃を手に入れる。弟のタイが買ったばかりの拳銃にものを言わせて、武器代金は全額戻ってくる。
イーストは当然、不快になる。なぜ、危ない橋を渡るような真似ばかりをするのか?ということである。
しかし、弟には理解できない。タイは、幼い頃から理解不能な言動をする子供だった。いわゆる発達障害が少しあったのかもしれない。
彼は、議論を一切せず、ワゴンの中ではゲームばかりをしており、人を殺すのにも何も痛痒を感じないようだ。
ついに黒人判事を見つけた3人は、判事の射殺に成功する。そのとき、判事は小さな女の子を連れていた。おそらく娘だろう。
イーストは、殺してはダメだというが、タイはあっさりと娘まで射殺してしまう。彼には理解できない。
帰路についたところで、ついにイーストは何かと殺人行為に走るタイに我慢できなくなり、ついにタイを射殺してしまう。
警察の追手がかかるが、彼らには判事を殺したことか、あるいはタイを殺したことか、どちらの事案で警察が追っているのかわからない。
判事殺しの件が露見していれば、警察は諦めない。しかし、タイ殺しであれば、黒人少年同士の争いについての捜査なので、おざなりで終るはずだ。
イーストと上役は、二手に分かれて逃走することに決めた。
上役は飛行機に偽名で乗って逃げる。
イーストは親切にしてくれた黒人のお婆さんから盗んだ車で陸路を逃げる。
その途中、アシのつきそうな車を捨てて歩きつづけ、行き着いた名も知らない街のサバイバルゲーム場で偽名をつかって働き始める。
ゲーム上の親父のペリーは、ぶっきらぼうだが、良い男だった。
すでに死期が近づいていた彼の最後の1ヶ月を、イーストは忠実に働くことで彼の信頼を徐々に得ていく。
やがて、ペリーが死ぬ。
そこに、死んだと思っていたタイがひょっこりと現れる。
「探したぜ」
そう言ったタイに打ちのめされるイーストだが、タイは意外なことにLAまでのファーストクラスの航空券をイーストにわたす。
新しい身分も準備してある、大丈夫だから戻ってこい。
イーストの下した決断は。。。
いやー、面白い!
黒人判事を殺しに行くまでが前半、帰路が後半というわけだが、登場人物達のやり取りがすごくリアルだ。
アメリカのダウンタウンで黒人に生まれる、ということがどういうことなのか?ということも含めて。
そして、こんな環境の中でも自分を律しようと苦闘を続けるイーストに共感する。
これは単なるクライムノベルではなくて、15歳の黒人少年イーストの心の成長の物語だ。
正しい主張が常に通るとは限らない。
自分が意図しないことであっても、巻き込まれれば当事者だ。
状況に立ち向かわなければ、どうにもならない。
したくない裏切りもせざるを得ない場合もある。
しかし、状況に立ち向かう中で、また思わぬ親切を受ける場合もある。
それでも、最後まで、そこに甘えてはいけない、ということ。
これは「男の子」が「男」になるまでの物語なのだと思う。
つらつら考えてみるのに、自分の15歳当時は、とんでもない勘違いとうぬぼれで、それでも周囲が甘やかしてくれた時代でありました。
もちろん、そのツケは、あとで盛大に回ってくる。
人生は、そんなに甘くないわけで。
齢50を過ぎて、ようやく気がつくわけでしょうかなあ。