Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

経済学の犯罪

「経済学の犯罪」佐伯啓思。副題は「希少性の経済から過剰性の経済へ」

 

今年のGWは、緊急事態宣言下であるので律儀にステイホームを決め込んだ。
なに、もともと出かける用などないのであった(苦笑)。
で、資格の勉強をやり直したのだが、そうするとすぐ眠くなることを発見した(汗)。
で、その合間に読んだのが本書。
勉強の合間のほうが読書に身が入るのは受験生時代に経験済なのであるが、齢50を超えても通用する。これは真理ではないかと思う次第。

本書だが、まずはお決まりの「グローバリズム批判」から入る。
個々の企業が収益を追求して海外生産にシフトすると、国内産業は没落してしまう。当然、国富の損失につながる。
経済活動を自由にすると経済が発展し国が富むというのは自由主義経済の前提になっているが、実際には違うではないか。これは合成の誤謬であるとする。
そして、資本主義の祖のアダム・スミスも、もともとはグローバルな重商主義に対して土地に根ざした自由主義経済を主張したのであって、現在のグローバル資本主義の祖ではないと主張する。
さらに、数学で科学のふりをする現在の自由主義経済学は、実は単なる一つの価値観の押しつけにほかならないと批判する。
後段では、文化人類学や哲学の成果を引きながら、自由主義経済以外の多様な経済の選択肢を示そうとする。


本書は2012年の発刊であるが、本書のような主張は現在も多く見られるのであって、今日性はまったく失われていないと思う。
リーマンショックのあとに出た資本主義批判の概括的な内容であるとも言える。
古典経済学についても、うまくまとめてあると思うので、評価は☆。

しかし、私は本書の主張には、実は素直に頷けないのである。
なぜかというと、国益というものに、あまり関心がないからである。
たしかに、本書のような「合成の誤謬」によって、先進国の生産体制が途上国に流出してしまう。その部分だけを見れば、先進国の経済にとってはマイナスに見える。
しかし、逆に言えば、途上国の国富はどーんと上がるではないかと思うのである。
現代では、本書にあるとおり、先進国の経済成長率は下がっている。
しかし、一方で途上国の経済成長率は上がっている。
ではグローバルで見るとどうなるか?世界の経済は成長しており、それはたぶん、先進国にそのまま生産設備を置いていた場合よりも大きいのではないかと思う。
早い話が「先進国民としては、むやみなグローバル経済は良くない」と言えるのかもしれないが「世界全体の経済にとっては、グローバル経済は望ましい」と言えるのではないだろうかと思うのである。
世界経済よりも自国の経済が大事というのは、そのままナショナリズム批判に通じる。
自国第一主義に向けられる批判は、トランプに対して向けられたものと同じである。
むしろ世界全体の経済成長のためには、先進国は少し我慢して当たり前じゃないか?という疑問に、本書は回答できない。

現在、そのような途上国から最大の挑戦をしてきているのが中共であろう。
このコロナ禍も、中共は国家の強権を発動して乗り切ったと豪語している。
そして、実は中共はまったくグローバル経済に沿っていない。
国際的なルールも守らないし、ITにおいては障壁を設け、GAFAが自国で活動できないようにしている。
ナショナリズム丸出しの経済体制をとり、自由な通貨交換すら認めていない。
その中共は、いよいよ途上国を脱し、先進国に挑戦状を叩きつけていると思うのである。

従来は、グローバル経済に乗らない国は、もちろん自国だけに有利なルールなどは相手国も認めないから、経済的に行き詰まるというのが常識であったと思う。
しかし、中共はその圧倒的な市場の力で「俺様ルール」を通してきた。
今や、先進諸国が「いい加減にしろ」と態度を変えてきていると思う。
ナショナリズム経済と、グローバル経済は、どちらが勝るのか?
その先行きを、自分の寿命がある限り、なんとか見届けたいと思うのですね。