Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

盤上の夜

「盤上の夜」宮内悠介。

2010年のSF大賞を受賞した短編を収録した短編集である。いずれも囲碁や将棋、麻雀、チェッカーといったボードゲームを素材にした連作短編である。
前回「ティンカー、テイラー、、、」で挫折して苦しい思いを味わったので、まず間違いのなさそうな日本の作品を読んでみることにした。

冒頭に収められているのが受賞作の「盤上の夜」。
うら若き日本人女性の由宇は、東南アジアに一人旅にいって現地で昏睡強盗たちの手によって四肢切断されて売られてしまう(都市伝説であるあるですね)
由宇は、その境遇のなかで囲碁を覚えて、たまたま東南アジアに旅行にいった囲碁の名人、相田によって買い戻される。
相田は由宇の才能を認め、それ以後はタイトル戦を引退し、由宇の手になって彼女の指示通りに石を打つようになった。
その彼女は特例によって連戦連勝を重ねて名人位を獲得するが、ある日、突然行方をくらましてしまう。
彼女は巨額の賞金で最先端の四肢復元術を受けたのだった。
しかし、もともとの切断手術が雑だったこともあり、復元術は失敗。
再び四肢切断をせざるを得なくなったところで相田がこれを発見し、またも痛ましい姿になった由宇は、その夜に相田と二人で碁を打つ。
もちろん、由宇の手は彼女が口頭で伝えるだけである。。。

過酷な現実を盤上の世界は超克し得るのだろうか、という大きなテーマが示され、思わず粛然とせざるを得ない。
連作短編はさらに将棋、麻雀、チェッカー、水象(釈尊の時代にあった後の将棋の原型といわれるゲーム)、締めくくりに再び由宇と相田が登場して、今度はアラモゴード砂漠で囲碁を打つ。
アラモゴードは原爆実験が行われた地で、ここでヒロシマナガサキの原爆が開発された。
ヒロシマのあの8月6日に、実は橋本宇太郎岩本薫本因坊戦を戦っており、「原爆の碁」として有名である。その棋譜が示される。
実は、原爆の爆風でふっとばされた石を、二人は並べ直して、さらに打ち続けているのである。
「過酷な現実を盤上の世界は超克し得るのか」
テーマはふたたび示される。


すごい作品であり、本作が日本SF大賞を受賞したことについて、なんの疑問もない。
SF、ひいては小説というのものがいつも言うように「嘘」であり(私小説はその点に異議を挟む唯一の分野である)しかし、嘘であるが故に現実への慰藉になったりする。
しかし、現実重視の立場からいえば、それは「逃げ」とも言えるだろう。
本作に登場する囲碁も、将棋も、麻雀も、まったく現実とは別の世界を持つ。それ故、本作品中でゴルフ好き(ゴルフは盤上の世界ではないので現実として示される)の棋士は俗物として描かれるのである。
盤上の夜があるなら、小説の夜はあるのか。
すごい問がテーマの後ろに隠れている。
評価は☆☆。
読書好きは、まず読むべきと思う。

試験勉強とか仕事もそうだが、なにかに追われているときほど、読書は面白いものだ。
それは「逃げ」であるが、しかし、現実から「逃げなければいけない」ときに、これらの作品の価値が増すとも言える。
成功して大金持ちになっている実業家の連中には、いわゆる読書好きはいない。彼らの読む本はビジネス本ばかりだ。
「現実の世界に有効か」が唯一の価値であり、現実の世界で成功している以上、ほかの世界で楽しまなければいけない理由がないのだろう。
現実のほうが面白いからである。

しかし、現実が面白くない人は、世の中にあまたいるのだ。
架空の世界、盤上の世界で遊ぶことと、現実の世界で遊ぶことと、その「面白さ」に違いはあるのか?
昔の人は、それを見て「酔生夢死」と言ったのだろうと思う。
どうせ人は最後は死に向かわなければならない。
どんな世界であれ、楽しんだのであれば、その人の勝ちなのだ。