世情はなんとなく騒然としていると思う。
国内では安倍元総理が銃撃されて死去し、コロナは蔓延している。円安は生活必需品の値上げを招いているし、携帯網は事故を起こし、電力不足にあえいでいる。
海外に目を移せば、あいかわらずロシヤの暴虐はウクライナを侵略しつづけているし、中共はいよいよバブルが崩壊している。
我々庶民としては為す術もなくオロオロするしかないのだが、こういうときこそ古典に親しみ、心の平安を求めるべきであろうと思う。
水に浮かぶうたかたのような雑文を相手にするのをしばしやめて、数百年か千年を生き
抜いた文章で、我が恒心を取り戻すのである。
そう考えると、もう「方丈記」しかないように思う。
方丈記は大した長さのないエッセイである。
青空文庫で全文が公開されているが、わずか1ページで、ちょこちょことスクロールするだけで読めてしまう。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html
しかし、この短い文章に込められた、深い思索には、思わず何度もうなずいてしまう。
千年昔の鴨長明さんと、今の我々と、思うところにそう大きな隔たりがあるわけではないことがわかる。
同じ人間だから、というよりも「同じ日本人だから」というほうがしっくりくる。
方丈記は、日本人の心のありようをもっとも端的にあらわした文学だと思うのである。
「いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき」日本の労働者で、これを思わない人がいるだろうか。
「一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり」こんな言葉に、何もなしとげられなかった(むしろ害悪をなした)わが人生を思って慰められる。
そうであれば、さいごに「たゝかたはらに舌根をやとひて不請の念佛、兩三返を申してやみぬ」鴨長明の心持ちが、とても他人事とは思えず、誰知らず「うん、うん」とうなずいている。
世に古典名作は数々あれど、抜群はやはり方丈記だと思うのである。
まあ、高校生の頃に教科書で読んだときには、そんなことは思いもしなかった。
ただただ、冒頭を試験対策に暗記しただけの話だった。
今になって知る偉大な作品である。
最近では、学校の国語の授業から古典をなくしてしまえ、という意見があるそうである。なんの役にもたたない、そんなことより、もっと生きるのに役立つ技を教えるべきだというのである。
ずいぶん正論であるが近視眼的であると思う。
人生を成功させるかどうかは、この年令になってわかるが、つまり「どこまで遠くを見通すか」にある。バカは目先の感情と損得で動く。
私は、若かりし頃は、目先の感情で動くやつをバカだと思っていた。そういう自分は、目先の損得勘定で動いており、それを「感情にながされないから賢い」と勘違いしていたのである。なあに、どっちもバカであった。
ほんとうに賢いやつは、それが数年先、あるいは10年先にどうなるかを考えて行動していたのである。
未来を見通す力は、過去を学んで考えることでしか養われない。未来を考えようとしたって、未来は今は「ない」のだから、考えることはできない。
過去を知って現在を知って、はじめて「流れ」が見えるから未来を想像できる。
遠くの過去を知れば、遠い未来をイメージできる。
本来の成功をするために、たいへん大事な力なのだと思う。
私は、古典をなくすというのは、一種の愚民政策であろうと思っている。