Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

この時期の無神経

橋本市長が、大阪の桜宮高校の自殺問題に関連して、来年度の入試を中止するし、校長教頭はもちろん、すべてのクラブ活動顧問を総異動せよと主張している。そうしなければ、来年度の予算執行しないというのである。
この発言は、当然ながら「生徒のことを考えていない」「短絡的な目先の対応だ」と批判があるのである。

まったくこの時期に、無神経なことこのうえないではないか。
いったい、人権ということを、なんと心得ておるのだろうか、と思う。
なんでも自分の尺度で物事が通る、というものではない。

もちろん、私が憤っているのは、「生徒のことを考えていない」とのたまう親及び教師の連中のほうである(爆)。

よくよく冷静に考えてみてもらいたい。
自殺した生徒は、ビンタ40発であるという。しかも、それが1日だけのことではない。
社会常識で考えれば、常軌を逸している。ビンタ1発で許されるのは、日本中でアントニオ猪木だけである。高校クラブ活動教師の分際で、猪木の40倍は、増上慢もはなはだしい。これは、立派な犯罪だ。

なんで、こういうことになったのか?
それは、橋本市長がかねて主張したように「教育委員会のクソ野郎」は、教育の独立性を盾に、教育行政への首長の関与を一切排除できるからである。
だから、くだんのクラブ活動顧問は、すでにこの高校に18年も在籍しており、誰よりも長い「ヌシ」であった。以前に「暴力がある」と告発があったときも、教育委員会が調査して「不明」で終わっている。
外部と切り離された特殊な世界だから、いわゆる社会常識は通用しないのである。
ここが本丸である。

このような状況の中、自殺した生徒は、文字通り暴力によって追い込まれたのであり、殺人に近いと私は思う。
我が国は、かねてより「死んだ人の人権よりも、犯人の人権を大事にする」けしからんと、私は常々考えている。
なぜ、そうなのか。

今回の件でわかった。
ようするに、このクラブ顧問の暴力は常態化していたのに、それを知りつつよしとしてきた、他の教師やら校長や教頭、そしてそれを追認した父兄たちがいるからだ。
被害にあった人間の人権に思いを致さない人間がいるからだ。
私は、これはけしからん、と思うのである。

今回の件について、私は橋本市長の主張を支持する。
未来ある生徒が死んだのである。40発のビンタを日々浴びせられて死んだ人間は「負け犬」だから、顧慮しなくてよいとでもいうのか。
私は右翼だから言うが、みな同じ日本人、同胞、陛下の赤子ではないか。
その人が亡くなり、それは「生徒のことを考えていない」から、ダメだというのか。
てめえのセリフを亡くなった生徒にむけて、言ってみろ。
おとといきやがれ、と私は思う。

厳しくやらねば、なおらんことがある。
その時が今である。
新人がきて、やっとイビリから解放されると考えている1年生もいるのかもしれないが、そうはいかない。世の中にはそれで通らないことがある。

ぶっちゃけていえば、橋本憎しで、そんな報道ばかりするメディアにも私は怒っている。
亡くなった生徒のことを思い、腹を立てる人間がいて、おかしいことはないんじゃないかなあ。


*追記
実は、私が通った高校でも、体育教師という奴は、まことに頭のわるい暴力教師が多かった。それが、その後の私の人生に多いに役だった。すなわち、そういう「暴力も愛情をもって」というのは嘘っぱちで、それをやられる側にはなんの感動もない、ということを身を以て知ったからである。