Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ようこそ量子

「ようこそ量子」根本香絵、池谷瑠絵。副題「量子コンピュータはなぜ注目されているのか」

私の業界も一応コンピュータ業界のはしくれであるのだが、遠い未来の話として「量子コンピュータ」の話題がでる。
当面は、暗号化通信で量子鍵が使われるであろうが、そのうち量子コンピュータになると、今の暗号化アルゴリズム自体がまずいよね、なんて具合である。
とはいえ、正直なところネタ話程度であって、そんな問題が起こるとしても我々の現役時代では起こらないはずである。
「次世代の連中は大変になるんだろうねえ」なんて程度のことなのである。

そのネタ話の量子コンピュータであるが、そもそも原理がよく分からない。感覚的に拒否反応が出てしまうのである。
量子論自体がそうとうぶっとんだシロモノであるから、それは無理がない。
ニュートン力学から相対論にぶっとんだだけでもすごいのに、その相対論のアインシュタインをして、さらにぶっとびすぎていると困らせたのだから。
しかしながら、量子効果自体は、すでに様々なデバイスで使われている。
そういう意味では、やたらスケールがすごすぎて実用化はイマイチの相対論に比べると、量子論は「使われている」のである。

本書は、その量子論の基礎から、応用例である量子鍵、量子コンピュータの基礎まで平易にイメージとしてとらえやすく解説した本である。
かなりわかりやすい、と思う。しかし、それでもわかるかどうかは、定かではない。

量子論のトピックスでは、有名なEPRパラドックスにおける「量子テレポーテーション」が実証された、というところに衝撃を受けた。
これは、情報が高速を超えて伝わったのではなくて、あくまで量子状態が観測によって収縮した、という解釈がとられているらしい。
しかしながら、はるかに離れた2つの量子間に相互作用が働くのは事実だ。
これ自体、まずは私たちの古典的な物理観を打ち砕くものである。

それから、もう一つ有名な「シュレーディンガーの猫」である。
こちらも、回答が示されている。猫と観測装置はマクロの世界のものであり、量子コヒーレントがその時点で壊れている、という解釈である。
それはそうなのだが、しかし、この回答は、シュレーディンガーの質問に対する回答にはなっていないように自分には思われる。
シュレーディンガーが意図したのは、基本的に量子状態がマクロの状態と直結するような思考実験であったことは明白である。
思考実験に対して、その実験装置は成立しません、というのが解答なのだから、どうなんだろうか?と思うわけだ。
しかし、どうも、量子論というやつは、それでいいらしい。
「わからない」をそのまま扱うのが、量子論のポイントであるようだからである。
そういう意味では、量子論は哲学的な反面、ひどく実際的で、ブラックボックスをそのまま飲みこんでしまわないと成立しないようなところがあると感じた。

量子鍵についても丁寧な説明があり、盗聴がわかる量子通信の原理が理解できる。
しかしながら、最後の量子コンピュータについては、私には正直にいって荷が重かった。
量子は、回答をきかない限り(観測しない限り)重ね合わせの状態で次々に仕事をしてくれるので、その意味では素晴らしい。
しかしながら、我々が最後の回答を得るためには、何度も質問をしなければならない。
その質問の手間自体は、どうも古典的コンピュータよりも煩雑なように思われる。
このような処理のオーバーヘッドを抱えて、なお本当に量子コンピュータのパフォーマンスが良いというのが、どうも感覚的につかめない。
量子を扱う技術は、ある意味で究極の即物主義(結果がでれば過程は考えない)だから、もちろん、それでいいんでしょうが。

評価は☆。
私ように「ネタ本」としてなら、充分。
すれっからし量子論好きさん向けではないと思う。

それにしても、本書中のベルの不等式の不成立が実験によって証明されたり、ヒッグス粒子が発見されたり。
最近の物理学の進歩は、目をみはるものがある。
それに引きかえ、社会学とか歴史(とくに近代史)とかは、いまだ迷信の域を出ていないものが多すぎるように思う。
実験、実証によって物事が進む世界は、そういう意味では素晴らしい。
社会学や歴史では、実証も簡単に捻じ曲げられてしまう。主に政治的な理由であろうが。
簡単に再現できないという制約は、学問にとっては大きいものである。

ふと、思ったのだが。
そもそも、実験によって実証不可能な議論って、「学問」に当たるんですかね?
「神学」という学問があって、これは確かに学問ということになっている。
そうであれば、社会学も歴史も、いっそ神学の一部門にしてしまったほうが、紛糾は減るのじゃないかと思う。
すべての学問が神学の婢と呼ばれていた中世のほうが、そういう意味ではマトモだったのかもしれませんなあ。