星新一は言わずとしれたショートショートの名手だが、時代小説も書いている。長編の「城の中の人」は名作である。星新一は外出嫌いで知られており、作家の飲み会などに顔を出してもスイッと知らない間に帰ってしまうので有名だった。で、そういう引きこもり気味の人の元祖をたどると、それは豊臣秀頼ではないかというのである。たしかに、大阪城の外に出たのは家康のところにでかけた1回きりだった。だから「城の中の人」というわけなのだ。
本書は、星新一の短編時代小説を編んだもの。
時代小説なのだが、登場人物は「◯◯でござる」などとは言わない。現代の言葉である。まあ、実際には例えば織田信長も秀吉も当時の尾張弁で喋られたら、何を言っているかこっちは理解できないだろうから、あの「◯◯でござる」はほとんどテレビの時代劇用のセリフに考案されたものであるようだ。素晴らしい発明であるが、小説に何も使わなくてもいいだろうと考えたのかもしれない。
冒頭の「殿様の日」という作品は、淡々と殿様の一日を描いた作品である。名君とはつまるところ、何もしない人なのだ、というオチに唸らされるのだ。
たとえば、食事は毎日毒見で冷めた、大して代わり映えしないものを食べる。もしも「たまには変わったものが食いたい」と言ったらどうなるか?料理役は、今までが不行き届きだったということになって詰め腹を切らされることになるのだ。だから、黙って食べる。大奥に行ってもそうである。特定の側室を寵愛などすれば、正室含めて大変な騒ぎになる。だから、1日おきに大奥に通い、誰か分からないが何やら順番でやってきた側室と一緒に寝ることになるのだ。財政もそうである。借金は増え続けているが、下手に改革して英邁だとか金を持っているなどと思われたら、たちまち幕府にお手伝いという名の公共工事を命じられてしまう。皆と同じく苦労しております、で良いのである。こんな借金返せないではないかということもあるが、それを言ったところで、カネが返らないとなれば困るのは貸している商人なのだ。それが分かっているから、商人も追い貸しに応じるしかない。わかっている家老も、すまぬな、などと言いながらいつものように借りるわけである。。。
うーむ、なるほどなあ。何もしないのが名君、たしかに色々と考えるとそうなるのだ。つまり、暗君と名指しされるほどでもなく、名君と讃えられもしない、平凡な無名の殿様のほうが実は真の名君なのではないかという話。
評価は☆☆。面白いねえ。
星新一を読み始めたのは、小学校5年生の頃だったと思う。同級生の女の子が、面白いよといって勧めてくれたのだ。その子が、私の生涯で一番初めに私を好きだと言ってくれた子だった。子供だったから、お付き合いなどということはわからないわけで、その子は教室で一生懸命自分が読んだ童話のお話をしてくれたものだ。すごく頭の良い子で、地元の国立の医学部を出て医者になった。今では、結婚して子宝にも恵まれ、地元の医療に貢献している。私の父の病気のときもお世話になった。そんな私は、今でも教えてもらった星新一を、還暦過ぎても読んでいたりする。たいへん有り難いことだと思うのだ。