そんな山村の架空の村が舞台である。
物語は、現代人である「私」、祖母の万葉、母の毛毬の三代記の形で語られる。
ただし、「私」はまだ20代の結婚前のお嬢さんなので、これからである。
なので、正確には祖母と母の2代記であって、その祖母が残した謎を「私」が説く、というのが小説のラストになっている。
その謎もささやかなものであって、この小説はミステリではなくて、著者が意識したという「全体小説」そのものであろう。
淡々と描かれる女の人生には、愛も仕事も家族もあり、そのなかにミステリも埋もれている、という仕掛けだ。
読者は、その人生を追体験することになる。
祖母の万葉は「山の人」の捨て子であり、戦後まもなく、赤朽葉家の製鉄所で働く職工の近所で拾われた。職工は気の良い若い夫婦であり、この子供を実の子と同様に育てる。
万葉は、村を代表する製鉄所を経営する赤朽葉家の大奥様タツの目にとまり、嫁入りすることになる。
そして、その不思議な能力で「千里眼奥様」と呼ばれ、難しい世代交代をを製鉄所が乗り切るのに力を発揮するのである。
万葉は、四人の子供を産む。長男の泪、長女の毛毬、次女の鞄、次男の孤独である。
高度経済成長時代を、この子供達は生きていくことになる。
毛毬は、当時流行りだした「荒れる学校」で、丙午の女らしく猛気を発揮し(設定では1966年生まれ)たちまちレディースの首魁になる。
バイクを飛ばしながら「これぞ青春」を謳歌した毛毬は、仲間の死をきっかけに引退。
その経験をマンガに書き、これが大ヒット、売れっ子漫画家として実に12年間のロングラン掲載をするまでになる。
さらに、その間に長男泪の夭折があり、婿取りをして子供をもうけることまでする。
全力で12年間を走った毛毬は、その連載終了の日に、積み重なった過労のために死ぬ。
「私」は、祖母の万葉によって養育されることになるのである。
その万葉も、やがて天寿のつきるときがくる。
最後に孫の瞳子と交わした会話が「私も人を殺している」だった。
いったい、祖母の万葉は誰を殺したのか?
「私」は、その謎の解明に挑む。。。
いやあ、実に読み応えのある「おもしろい」小説である。
評価は☆☆☆。
ずばり、傑作だと思う。
この評価は、私の個人的な思いが関係している。
戦後すぐの時代、まだ山村には「もののけ」が住んでいた。その空気を、細やかに伝えてくれる万葉編の出来がまず素晴らしい。
実をいうと、この万葉が、私の曾祖母にそっくりなのである。
彼女も千里眼であり、また、文盲であった。89になり、最後は、食を断って死んだ。もう充分だということであった。
懐かしく思い出したことである。
次の毛毬編だが、ほぼ私と近い生年の設定であり、あの時代の空気を思い出すことができる。
やたらに子供が多かった高度経済成長時代。人類は月に行き、「科学」が新たな神となって、山村からもののけが消えた時代である。
荒れる学校は、つまりは流行であり、何も生み出さなかった。
そのまま、時代はバブルに流れ込む。
週刊少年ジャンプが200万部を売上げ、次にくるインターネット時代の前の最後の恐竜のような出版業界の隆盛があった。
そして現在。
もはや、皆が「なにものでもない」時代になった。その「なにものでもない」私が祖母の謎に向き合うのは、自分探しの一環と見えなくもない。
祖母の謎解きを通じて、彼女は自分の人生の生き方を見つけようとしているのだ。
心打たれる素晴らしい描写がたくさんあって、読んでいてまさに「巻を措く能わず」の思いがした。
こういう小説、なかなか珍しいと思いますねえ。