Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ファーストラヴ

「ファーストラヴ」島本理生。第一五九回直木賞受賞作。

主人公は臨床心理士の由紀である。カメラマンの我聞と結婚して、一児の母でもある。
しかし、時間的に余裕があることから、夫の我聞が主夫業をしており、由紀の方は病院勤務のかたわらテレビのコメンテータや執筆活動を行っている。
夫の我聞には弁護士をしている異母弟の迦葉がいる。
その迦葉が国選弁護人となって、ある殺人事件の弁護をすることになった。
被告人は環菜という女子大生で、就職活動の女子アナ試験を受けたあとに(面接試験だがうまくいかなかったようだ)父親の教えている美大に行き、父を刺殺したというものである。
由紀はちょうど臨床心理士としての体験を書いた本の執筆を考えており、この事件に興味を持って、ながらく疎遠だった迦葉と連絡をとる。
二人で環菜に接見に行くと、環菜は混乱しておりうまく自分の状況を説明することが出来ない様子だった。
接見時間も限られていることから、由紀は接見で言い切れなかったことを手紙で伝えてくれるように環菜に依頼する。
やがて、ぽつぽつと環菜から手紙が届くようになった。
その手紙の中に、由紀は性的虐待があったのではないかと感じて、過去の環菜の交友関係を調べる。環菜は、誰とでも付き合ってしまうような
のように思えた。
しかし、よく見ると、それはどうも相手から要求されると拒否できない何かを環菜が抱えているからではないかと思われた。
実は、由紀自身にも似たような経験があった。彼女の父は海外で少女買春を繰り返していたのだ。大学生になったとき、母親からそれを聞かされた由紀は、その事実を受け入れることができず、男子学生と気ままな交際を重ねる。
「性なんて大したことではない」と思い込みたかったからであった。
そのときに、迦葉に出会う。ところが、なぜか由紀と迦葉はうまくいかなかったのであった。行為に至るも失敗したのである。
あとで由紀が我聞と結婚することになったとき、異母弟として迦葉を紹介されたわけで、由紀と迦葉が気まずさを感じていたのはそのためだった。
環菜の過去を調べていた由紀は、環菜が小学生時代にコンビニ店員に保護(という名の児童虐待か)をされていたこと、そのきっかけが父親が自宅で開く絵画教室の絵のモデルになったことだったを突き止める。
その絵のモデルは、全裸の男性によりかかったまま、着衣ではあるが長時間ポーズをとらされるものだった。そして、絵の生徒たちは全員男性だったのだ。
このシチュエーションで、長時間男の目にさらされることをストレスから、環菜は自傷行為を繰り返すことになっていく。
ことの経緯を聞いた迦葉は、あとはまかせろといい、やがて環菜の裁判の日を迎える。
誰もが情状酌量を求めるだろうと思われていた裁判の冒頭、環菜は殺意はなかった、起訴事実を争うと宣言した。。。


緻密な人物の背景描写と、性的被害というものの境界の難しさを描き出した作品であろうと思う。
考えさせられる。
評価は☆☆。
直木賞受賞作というのは、納得する。
純文学と言っても良い気がするし、実際に作者は純文学作家として挙げられることも多いわけだが、本作についてはドラマ化も容易だったので直木賞になったものだろうと思う。

私は、ふだんはミステリだのSFだの時代だの、ようするに大衆文学を読むのがメインで、それもかなりの割合で海外翻訳ものを好む。
翻訳文というのは、独特の文体があるから(外国ではまず主語の省略がないわけで和文に訳すとやたら「○○は言った。」が多くなるのだ)最近の小説の文体というものがわからない。
で、近年の受賞作品で日本文学の人気がありそうなところの文体を見てみようと思って、本書を読んでみたのである。
なるほど、こういう文章なのか、と思った。
有り体にいえば、やっぱり読みやすい。
そして、この小説の視点は基本的に主人公の由紀に固定されており、一人称「私」で語られる。
それによって、小説としての描写にはうまくいく部分と、うまく書けない部分(神の視点がないわけだ)があるのだが、それを環菜の「手紙」というテクニックで埋めてある。
なるほど、こうやって書くのかと思った。
ずいぶん変な読み方かもしれないが、ふだん翻訳ものばかり読んでいると、おかしな視点が出てくるものである。
この人の本は面白そうなので、もう少し読んでみてもいいかもしれない。