Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

勝ち組、負け組

「勝ち組、負け組」て、なんだかイヤな言葉だ。
この言葉を考えた奴は、なんと下賤な心の持ち主だろうか、こんな言葉を使う奴に、何がわかってたまるもんか、という思いが自分にはある。

12年前になる。友人と経営した会社が倒産。お金がないから解散登記もできない。数年たつと、登記官によって「職権により抹消」される会社になったわけだ。
心労のため、すさまじいメニエール病発作を起こした。立ち上がることすらできず、1週間寝て過ごした。同居していた彼女には、心底ばかにされたものだ。
起業してつぶれるとどうなるか?
収入はない。国民年金も、国保の掛け金すら払えない。だから、保険証もなくなる。無医者、無年金者になるのだ。生活保護を除くすべての支援はない。おまけに病気で働けないから、鴨居が近く見えた。本当の話である。故郷につながる細い1本の電話線が、私を救っていた。
なんとか食いつなごうとカードローンに手を出したら、なんと丸井のカードがつくれなかった。学生以下の信用力であった(苦笑)
そのうち、女性は出て行った。無理もないんである。
残務整理でオーナーの会社に顔を出して当座をくいつなぐ糧を得ていたが、このオーナーに名義貸ししていた会社が債務不履行で訴えられ、身に覚えのないことで民事裁判の被告までやった。

私が現在いる会社も、設立早々にして、はやくも販売不振でつぶれかけていた。
私はお金に困っていたから、フルコミッションセールスで稼ごうと考えて、この会社の契約社員となった。ITシステムは高額で、販売マージンが魅力だった。売れてみると、一息つけてありがたかった。私は、自分がこの商品の販売に才があることに気付いた。そのうち、正社員になり、技術開発まで手がけるようになった。毎晩寝る前に技術書を読んだ。
会社は幾度となく経営危機があり、給与の遅配や削減だって何度もあった。だけど、私にとっては優しいものだった。それ以上の地獄は経験済みだったから、特に文句を言うどころではなく、ひたすら「どうすれば良くなるか」を求めてはたらき続けた。
同世代の友が恋愛やレジャーを楽しんでいる間、私は仕事をした。つらいことも多かったが、とにかく、自分ができることをしなければならないと思っていた。
業績は年を追って良くなっていき、私はいつしか最年少役員になり、社長の次の古参役員になっていた。
そして、会社は昨年、東証マザーズに上場。私は、とにかく上場企業役員となった。
与信額無制限で有名な某カード会社のDMが来た。
私は、それをくずかごに放り込んだ。
丸井のカードが作れなかった私が?お笑いとしか思えないじゃないか。

勝ち組、負け組というならば、かつての私は負け組であろうし、今はホリエモンほどの勝ち組には及びもつかぬが、ともあれ生活に困ることは全くない。ありていにいって、恵まれているほうだ。

しかし、上記のような理由で、恋愛やレジャーに時間を使えなかった。おもしろみがない人間とも言える。その意味では負け組にしかならないだろう。

商売のチャレンジは失敗することも多く、安易に他人にお勧めできるものではない。
しかし、求めなければ、また得られることもない。
何もことを起こさない人が「勝ち組、負け組」を論じるのに腹が立つ。
失敗すれば、死はあり得る。日本でも、年間3万人の自殺者が出る。なぜそうなるのか、わかるだろうか?福祉をうたう政党さんよ、あんた達は障害者や老人を救うというが、ビジネスで死ぬ人を救うことがないのを私は知っている。自己責任だからだ。(そう言い切る自民党は健全だ。ウソがないから)
私は、自分が毎月払う新人OLさんの給料みたいな税金を、福祉に使うことに異論はない。けれども、それはタダで得た金ではない。地面からカネが湧き出るわけじゃないのだ。外国から何か言われたらとりあえず詫びてしまうような政府に、どうして命を削って得た金を払えるだろうか。
たのむ、しっかりしてくれ。勝手にガスをほられ、核を放棄してやるからカネを払えと言われ、さらわれた人も帰ってこぬでは、私は何のために税金を払うのか?たのむ、しっかりしておくれ。

勝ち組、負け組と簡単に人は言う。
しかし、そんなに簡単に、今の表面づらを見て、それを評論して何になると言うのだろう?
「勝ち組と負け組の格差」みたいな言辞にも反発を覚える。おなじ人間のすることだ。勝手に、所与で不変のものだと決めているのは、あんたの考え方だろう。
人間は、失敗したり成功したりするものだ。
同じ人間が、勝ったり負けたりするものだ。それをつかまえて、勝ったの負けたのと言ってるヒマがあったら働け。戦ってから死ね。それがイヤなら、黙っていろ。
私だって、またいつ、何が起こって落ち込むかもしれない。
そんなことは、人生では簡単に起きてしまう。

勝ち組、負け組などという言葉にだまされちゃいけない。
その言葉には、人生で大事なことは、何もわかっちゃいないくせに、分かったふりをする偽善のニオイがする。勝ち負けなんてその時のものだけだ。ばかをいっちゃいけないよ。
人生は、勝ち負けなんて問題じゃないと、私は本当に思うのだ。