Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

格差社会

小泉首相が「格差があること自体は、社会にとって悪いことではない」と言った。
たぶん、そうなのだと思う。ただ、説明が不足だ。「回復できないほどの格差」は、やはり悪いと言うべきではないか、と思う。程度の問題かと思う。

「勝ち組、負け組」というイヤらしい言葉であるが、しかし「勝ち組」は自分が勝ち組だと普通は言わないはずである。言ったらバカである。なぜかというに「勝ち組」であれば、一瞬の後には自分が再度「負け組」になる可能性があると承知しているはずだからである。(もと「負け組」であれば)
「勝ち負け」は、しょせん、社会の流れに合致しているか否かの違いであって、またいつ、自分がそういう「流れ」から外れるか分からない。その程度の認識がなければ「勝ち組」になれるはずがなかろう。

もしも、生まれながらに「勝ち負け」が決定して、生涯全く不変であるとすれば、これはイヤな社会であるように思われる。人生一寸先は闇であるほうが良い。

ところで、日本の上場企業は3500社程度であると思うが、このうち1500社が「社長が創業経営者」の会社である。これは、一部の例外はあろうが、基本的には裸一貫から築き上げた経営者がほとんどであろう。
この比率は、まずまず健全なほうではないかと思う。
この現実をみれば「資本家が生産手段を独占し、弱者はいつまでも搾取される」という理屈が空理空論であるといわねばならんはずだ。
実際には、一労働者がタタキあげて立派な会社(もっとも社員を思いきり搾取しているかもしれんが。。。)をつくるし、巨大な資本を持っているはずの会社がなくなったりもする。
一番、このような変化がないのが役人であって、「格差」を固定するのではなくて動かす意図をもってするならば、優秀な人材を民間に輩出しなければならんはずだ。
東大卒が優秀であれば、彼らを官僚にする必要はないと思う。
むしろ、その優秀な頭脳を生かして起業しろ(ホリエモンは市場を騙したからいけなかったが)と思う。

もちろん、人生の価値はいろいろである。事業をするのは、その一側面でしかない。もっと多様な生き方があるはずで、金銭=格差としては人生に対して失礼であろう。
お金儲けに興味がない人はたくさんいるはずで、そういう人は、もっと違う生き方をして良いし、そうすべきだろうと思う。そういう自由も認めるべきで、みんなが金儲けに心身をすり減らさねばならんという価値観はおかしい。
そうであれば、また「勝ち組なんかにならない自由」もまた、なければならぬ。
格差社会はそういう意味でもあって良いはずなのだ。

格差が、多様な価値観の表現であれば、何も問題はない。格差はただの結果なのだと思うのだ。それを唯一の価値として騒ぐ必要はなかろうと思う。